貴方を抱けない私の腕は…

三郎の父が死んだのは、戦場だったという。
一族で経久に仕えると決めたのはその父だったが、最も忠を尽くしたのも彼だった。
卒業して、兵助も竹谷も、雷蔵も、どういうわけかここに召し抱えられることになって、今でも4人揃って、出雲にいる。
自分達が他国の様子を探っている間に攻められた月山富田城は、鉄壁を誇っていたが、応戦している時に掛けられた矢を主君の代わりに浴びて、息絶えたのだと聞いた。
経久は、崩れる父を抱き留めて、そのまま城に帰った。
本来なら葬式もまともに出さないのだが、今回ばかりは経久のたっての願いで戦が終わってから直ぐに葬式を上げたらしい。
墓は二の丸の、鉢屋の屋敷に立てられた。
彼等全員が城に帰った頃には、既に鉢屋家の当主は生き残っていた長兄になり、名前も父の物を受け継いだという。
葬式を済ませて、今夜酌をしてくれと頼まれて三郎は暫し悩んだが、兵助が「行ってこいよ」と言ってくれた為、今は縁側で酒を飲む経久の酌をしていた。
いつもよりも経久が酒を煽る量も速度も速く、三郎は小さく息を零す。
死んだのが余程応えたのか、と目の前の主君を見ながら思えば、彼はかたりと盃をおいた。
「…お前は、あれが死んでも泣かぬのだな」
そう言われて、そう言えばちっとも悲しくないと今更に思った。
父親が死んだと聞かされても無感動に「そうですか…」と長兄に返事をしたばかりだ。
次兄には苦笑を零されて、長兄は肩を竦められた、それだけだった。
経久の言葉に俯きだけで返せば、「良い…責めてはおらぬ」と呟かれた。
「…儂も、泣くことは出来なかったのだ」
「殿?」
縁側から見える四角い夜空に浮かんだ月を仰ぎながら、経久の目は寂しそうに揺らいでいる。
「ただ、目の前で崩れていくあやつを受け止めることしかできなかった。しかも、あれが最初で最後…あやつを腕に抱いた時だ」
「……」
そう言えば、と三郎はふと昔兵助と話したことを思い出した。
『殿が本当に好きなのは…多分、三郎のお父さんだよ』
過去の禍根が無くなった訳ではないとはいえ、今では兵助も経久を殿と呼ぶようになっている。
その時は驚いたけれど、それだけでしかなかったけれど、今こうして目の前で話をされればそれがどれ程の物か解った気がした。
ただ、父も、今思えば経久に同じ想いを抱いていたのかも知れなかった。
主君として慕うのとは別の、自分と兵助の間にあるような想いが有ったのかも知れないと。
「…決して触れさせることの無かったあやつは、最期の最期で、儂の腕の中に来た。嫌になるほど、満足そうな顔で死んだよ」
「殿は…それがご不満ですか?」
思わずそう尋ねれば、経久の目がゆっくりと伏せられて、それからこちらへとその、大分老け込んでしまった、それでも端正な顔がこちらへと向く。
父が死んでから、経久は老け込んだと思うのは気のせいではないかも知れない。
覇気が無いわけではないけれど、何処か、影を負っているような表情が増えたのだ。
「あぁ、不満だな。儂は…死しても供にあることを許しただけで、先に死ぬことを許した覚えは無いというのに。あやつは、何の躊躇もなく儂の目の前で死んだ…」
そう話ながら、経久の手がすと三郎の方へと伸びる。
徳利を側に置いて、そのまま為すがままになれば、彼の腕は自分の身体を抱きとめた。
額を肩において、滅多に見せない弱った姿だった。
「…おいていくなと言った覚えはないが、先に逝けと言った覚えもないのだ。儂の許し無く、死ぬなど…」
「それでも父は…本望だったはず」
「……なら、お前は、同じ場面であやつと同じ事をするというのか?それが儂ではなく、兵助なら」
そう言われて、三郎はすと目を伏せる。
愛する者を目の前で失うのは確かに耐え難い。
自分でも同じ事をするだろうかと、瞼の裏にそれを思い浮かべれば首を縦に振るのは自然なことだった。
「やはり、お前達は良く似ている」
「言われても…嬉しくはありません」
自分と父の不仲は相手も知っているはずだと言うのに。
ふ、と微かに笑いが零れるのが解る。
手を膝に置いたまま、抱き返すことなどなく、ただ、経久の腕の中にいた。
「…こうやって、抱くことが出来なかったのは、拒まれるのが嫌だったからだ。腕を伸ばしても、あやつは直ぐに逃げていく。だが、逃げるだけではなくて、突き放されるのが怖くて、結局は死ぬまでこうする事が出来なかった」
そう言って、微かに経久の肩が震えるのが解った。
泣いて、いるのだ、と解る。
声を殺すというよりは、涙が流れるに任せているのだろう。
そこで漸く、背中に腕を回せば、自分を抱く腕の力も強くなる。
「儂はお前達が羨ましい…。それを今ほど思うことは今までも、この先もない筈だ」
「…殿」
「一度くらい、拒まれても…無理にでも、腕に納めておれば良かった」
こんな事になるくらいなら、と小さく零れた言葉が胸に刺さるようだった。
もし、自分が死んだら兵助はこんな風に泣くのだろうか。
何時死ぬとも知れないのは自分も彼も同じだが、それでも自分が先に死ねば、彼はこんな風に泣いてくれるのだろうか。
そんなことを思い浮かべる。
「父も、きっと。同じ事を思ったと私は思います…」
「……」
「あの人はどんな時にも厳しかったけれど。殿と一緒にいるときは、それが少しだけ緩んでいたから。少なくとも…あの人と殿のお心は一つだったじゃないかと」
せめてそれだけは、解って欲しいと何となく思った。
確かに自分は今でも父親が好きではない。
ただ、これだけの生きる術を与えてくれたという点では感謝している。
それでも、こんな風に自分の父親の為に泣いてくれるのなら伝えておきたいと思ったのだ。
「…父の望みは、殿が生きながらえること。ならば、殿がこんな風に泣いてくれるのなら、それに勝る歓びはないのかも知れません」
「だと、良いのだがな」 そう言って、そっと顔を上げた経久の目には水の気配など何処にも無かった。
泣くのにもしかすれば、涙など必要ないのかと、ふとそんな事を想うほどに、彼の顔は歪んでいたけれど。

部屋に帰れば、多少不機嫌そうな兵助が火鉢に火を入れて待っていた。
雷蔵と竹谷は葬式の後に、大内と毛利の辺りに間者として潜入していた。
その背中に無性に抱きつきたくなって、三郎は膝を折ってその背中に身体を付ける。
「三郎?どうしたんだ?」
急なことに兵助も反応が遅れはしたけれど、いつもの調子で尋ねてくる。
いや、と小さく言葉を切って三郎は一度だけ瞬きをした。
「…ただ、無性にお前が恋しくなった」
「何だ、そりゃ…って、お前、酒臭い…」
まさか、と言うように兵助が眉間に皺を寄せるのを見れば、ふと小さく笑いを零してみせる。
「別に。ただ、肩を貸しただけだ」
「……油断できない」
そう言われて、今度は肩を揺らしながら笑ってみる。
こんな風に嫉妬されるのも悪くはなかった。
若い頃の事があるせいか、主君とは言え二人きりになるのに兵助はいい顔をしない。
それでも、今日行ってこいと言ってくれたのは、主君と自分の父の関係を知っているからだったのだが。
不満そうな顔を覗き込んで、彼の身体の前に腕を回す。
何も言うな、と唇だけで紡げば兵助は軽く肩を竦めただけだった。
今は、まだ経久はあの縁側で一人酒を飲んでいるのだろう。
少しでも、あの人の悲しみが薄れれば良いと、無理だと解っても祈らずにはいられなかった。


後書き

そんなこんなで父死ネタです。何かふと降臨したので書いてみたのですが…。
多分、父は凄い満足そうな顔で死んだんじゃないのかなぁと。私の中で、誰かを庇って死ぬっていうのは三郎とか父とかが凄くやりそうな事だと思っているのですが。ただ、残された方は堪ったもんじゃないとおもうんですよ。
でも、そんな残酷なことをしてしまうのがこの二人の似た所じゃないかなぁと。
最後に三郎が兵助に後ろから抱きついてるのは、何となく顔を正面から見られないからです。残された人=経久様を見ちゃって、自分も多分父親と同じ事をしかねないと思ったら見れなくなったみたいな。そんな感じで。