空の太陽、牡丹の貴方

経久が京都から帰ってきて、そして城をおわれたという話は瞬く間に城下へと広がった。
その話は勿論、月山富田城の近くに住まう鉢屋衆の耳にも入ることになった。
勿論、それは当主の耳にもだった。
あの、元服の年以来、鉢屋衆は尼子の当主の覚えがめでたく何度も正月の宴に呼ばれていた。
その時に良く顔を見ていたあの若君に事を、彼は思い浮かべた。
野心家、それは最初に会ったときに何処か解っていたことではあるが、まさかこんな事になるとは思ってもみない。
最初に会った、あの日の事も彼は昨日のように思い出せる。
(あの若君が…随分、ご立派に成られた)
追放されたというのは経久がやった事への罰では有るが、音に聞いた事を鑑みればあのひよっこが随分育ったものだと言える。
その知らせの文を読みながら、彼は屋敷の庭へと視線を滑らせた。
季節のせいか、彼の奥方が植えた紅い牡丹の花が見事に大輪の花を咲かせている。
それを見ながら、彼は小さく溜息を吐いた。
「…あの時の約束、私は忘れてはいないが」
相手はどうだろうか、もし、自分達が必要ならば…。
そこまで考えて、彼は小さく頭を振った。

経久がどうしているのか、消息はなかなか掴めなかった。
喩え一国一城の跡継ぎだったとはいえその様な身分になれば、家財などなくなってしまったらしい。
殆ど城下や経久の母の実家を行き来しているのだと噂には聞こえていた。
「…塩治に仕えるなど」
と、当主は小さく息を吐く。
どうにも、一度正月に会った現在の城主はムシが好かなかった。
小物、という印象ばかりが際だったあの男に仕えるのは気が進まない。
そんな事考えながら、彼は得意の笛をそっと唇に宛てた。
優しくもの悲しい音を彼は部屋に響かせる。
最近は上の息子達を自分の部下に任せたり、三男を遠くの学校へとやったりと自分の時間を大分持つようにしていた。
頭に思い浮かべるのは、今はどうしているのか知れない、初めて仕えたいと思った男だった。
元気なのか、またあの城に返り咲く気があるのか…。
様々な想いが笛の音から溢れ出る。
そっと目を開ければ、明けはなった窓から太陽が見えた。
その下で、また牡丹の花が花弁を震わせている。
「殿…お客様です」
そう言われて、彼はすと笛を止めた。
解ったと返事をすれば、笛はそのまま腰帯へとさす。
これを置いてというのも考えたが、それは嫌な気がした。
そっと顔に手をやれば、いつものように自分の素顔を隠そうとそこに仮面を貼り付ける。
素顔は晒さない、それが掟だった。
客間へと足を向ければ、微かに覚えのある気配を感じる。
少々弱ってはいるが、あの野心に溢れた男の気配に彼は微かに眉を寄せる。
さっと、障子を開けて中に入れば、そこには随分と逞しくなったあの若君が座っていた。
「…尼子の……」
そう言葉を継げれば、経久と供をしてきたらしい、重臣の亀井はさっと頭を下げた。
それに多少困惑しながら、彼は座を敷いている上座へと腰を下ろした。
そうだ、もう彼に地位は無い。
となれば、昔は逆だった位置に自分が着くのだと何となく違和感を覚えてしまった。
むしろ、自分が居る上座にこそ彼は座るべきだというのに。
「…経久に御座る。此度は、お目通り忝なく」
「……いえ。表を挙げて頂きたく。仮にも…経久殿は尼子の跡取り。私などに頭を下げることも無いはず」
「それは昔の話で御座ろう」
そう言われて、彼は微かに目を細めた。
確かに其の言葉は間違っては居ない。
だが、彼自身が認めた主は目の前の、この男だというのに。
「…今回此方に来たのはそれに関してのお話。是非、鉢屋殿のお力をお借りしたく…」
そう言って、こちらを見た男の目はまだ、確かに野心に燃えていた。
隣で、亀井もそれに同意を示すように頷いている。
「今回の京極からの処置は此方も遺憾の事。実質的に力を失っている守護が何をと我らは思っております、つまり…」
「主君を、追い落とすと…そう仰りたいのですか?」
そう言うと、微かに二人が首を縦に振った。
唐突と言うよりも、何処かで解っていた様なそんな気にさえなってしまう。
どうするのか、等既に答えは出ている気がした。
ここに来たのも、恐らくは自分達が毎年正月に出入りしているから。
それを知っているからなのだろう。
当主はそっと、両手をついて、頭を下げた。
「…承知致しました。元より、私どもが忠誠を誓ったのは尼子家のみ。お申し出を断る理由など御座いません」
「では」
「はい、経久様が城主に返り咲く日まで、力を尽くさせて頂きましょう」
そう返事をすれば、経久の目が輝くのが解った。
「…それまではこの屋敷をご自由にお使い下さい。私どもが必ずやお守り致します」
其の言葉に偽りなど、どこにも無かった。

亀井が帰った後、経久だけがこの屋敷に留まる事になった。
何時、今城に居座っている塩治を追い落とすか。
それはまた後日、他の家臣達も集めてする事になっている。
庭に出れば、見事な牡丹の花が風に揺れていた。
「…あの若君が、随分ご立派に成られた」
そう呟くと隣で牡丹を見ていた経久が顔を上げた。
ふ、と小さく笑ってそれからすと立ちあがる。
「あの時から、10年近くも経っているのだ。何時までも子供で居られる筈も無かろう?」
「…私からすれば、まだ子供の様な物ですよ」
そう言って小さく笑う。
最後に見たのは、彼が京都に旅立つ前の正月の宴だ。
まだ、元服して2年目の彼はあどけなさも残したままだというのに。
今ではすっかり貫禄も出て、野心もそれに伴って育っているようにも見える。
尼子の貴色である黒も、大分馴染んでいるように見えた。
「だが、お前が変わらぬ。出逢った頃のままだな」
そう言って、経久は小さく笑った。
変装を得意とする自分達は顔での若さも変えられる。
手にも白子を塗ったりして、多少の事ならば誤魔化せるくらいの技術を持っていた。
「変わったと言われることは、誉れとは言えますまい。成長したと言われれば誉れになりましょうが…」
「…なら、そなたから見て儂はどう変わった?」
そう言われて彼はじっと目の前の男を見つめた。
成長した、体も心も全部、そう見える。
城一つではない、もしかすれば天下さえも夢に見ているかも知れない。
そんな風にさえ、思う。
「貴方は…大きくなられました。体も、度量も…もしかすれば、その野心も…」
「儂が何を見ているか、解ると?」
「天下を…見ておられると」
出雲一国、それだけに収まる人ではない。
そう続けると経久はゆったりと口角を上げた。
自身に溢れるその笑みは、未だ見たことのない物だ。
「城を盗った暁…そなたは何を望む?」
そう聞かれて、当主は一度目を伏せた。
何を、と言われて思い浮かぶのは一つだ。
「あの約束を…」
「……」
「あの約束を果たさせて頂くことのみ。経久様を殿と呼び、終生お仕えする許しを頂きたく…。それだけを」
そう返すと、経久はふと息を零すように笑った。
「失すれば、一族もろとも滅ぼされるかも知れぬと言うのに」
「…何のために我らがこの様に顔を隠していると思っておられるのです?」
「無用な心配か?」
そう言って小さく笑う経久に、当主は目を細めた。
「それでも、私は貴方に忠義を尽くすと誓った身。死しても、供に…」
「……」
「ですから、貴方にだけは顔を見せても良いと思っております。一族の掟、主君と血縁にしか顔を見せてはいけないとある…。忠義を誓う証に…この下を」
そう言って手を掛ければ、経久はそっと首を横に振った。
まだ、と言いたげな視線に彼は手を下ろす。
「…それは儂が城を盗った時にするが良い。それまでは」
微かに経久の手が上がる気配がした。
まるで自分の顔の輪郭をなぞるように、その手は宙を滑る。
「御意に…」
部屋へ、と小さく言われた言葉に頷いて、侍女の方に視線をやった。
案内すると言うような、視線を交わして、当主はすと視線を牡丹へとやった。
紅い、大輪の花は風に揺れることなく真っ直ぐに天を仰いでいる。
もし、喩えるなら、と彼は屋敷へと入っていくその拾い背中を見やった。
この花の王だろうか。
ふと、そんな事を想った。

end

太陽を絡ませられませんでした…orz 何て事だ。
経久×父、第2弾ですが、捏造とか色々入りまくってCPっぽく無くなってしまいました…。うぅん…;;
えっと、経久様の事で幾つか訂正があったり無かったりです。
あの後、色々調べてみたところ、鉢屋さんはどうやら毎年正月の宴に呼ばれてたみたいです。だから、あの年が初めてって訳ではないらしく。後、経久様はお家の関係で17歳の時に京都に行ってます、そしてそこで元服と…。だから、本来は幼名で呼ばないといけないんですけど、もう、ほら、そこは…。捏造でカバー…という事で。

どうせなら、経久様が三郎に一目惚れする所まで書いてしまおうかしら?(何)