×××コンプレックス!
あの子について。
子供の体温というのは意外と熱いんだな、と既に熱も下がっているはずの兵助に腕枕をしながら三郎は思った。結局兵助に強請られるままに同じ布団に入って、人の気配に敏感な彼は余り寝つけずに朝を迎えた。隣では幸せそうと言うよりも、むしろ安堵したような様子で寝息を立てている兵助が居る。
「…初めて、だよなぁ。こんなに一緒にいるの」
ぽつりとこぼせば子供はんん、と小さく身じろいだ。起こしたか、と三郎は一瞬息を詰めるが、兵助は直ぐにまた規則的な寝息を立て始める。今日は休ませるか、と大事を取らせることにして三郎は携帯に手を伸ばす。ついでに医者にも見せて、自分も今日は講義を休もうと決めた。
ぱちり、と最初に目を覚ましたのは兵助だった。隣を見れば三郎はまだ眠りの中に居るらしくゆっくりと背中が上下している。あぁそうだ、久しぶりに一緒に寝てくれと強請ったんだっけと昨晩の事を思い出して、彼は小さくため息を吐いた。懐かしい夢を見ていた。あれは、自分が小さい頃初めて風邪をひいた時で、その時初めてこんな風に三郎と寝た日だった。
三郎は人の気配が苦手だ。だから、一緒に寝ると言っても眠りも浅くて、次の日は欠伸を繰り返しながら病院に連れて行ってくれた。幼い自分はその事実を知るまでに結構な時間を要した。あれは何時だったか、三郎の友人の雷蔵が遊びに来た日、雷蔵が部屋で寝ているけれど寝付けないと言って三郎はリビングでぼんやりとしていた。たまたまトイレに立った兵助はそれを聞いて、驚いたのを覚えている。
その後も何度か三郎には一緒に寝てとおねだりして、それは一度も断られた事がなかったから。何故かと聞けば三郎は少しだけてれた様子で「まぁ、…お前は子供みたいなもんだし、特別だからじゃね?」と何故か聞き返された。その返答に、小学校高学年だったはずの兵助は少なからずショックとそして喜びと、両方を覚えた。特別という言葉に喜びと、そして子供みたいと言う言葉にショックを。
ませていたと言うのもある、既に周りの女子たちは思春期を迎え恋愛というものに興味を示し始めていたし、兵助も少なからずそんな話を振られる様になっていたからだった。目の前の、今自分が特別に思っている相手は自分を家族の一員としてしか見ていない。それは嬉しい事だけれど、同時に何処かで絶望的なんじゃないかと幼いながらにも理解した。
中学に進学し、男女の心理というものを理解し始めてから改めてその絶望の意味も理解した。それは自分が決して三郎にとって恋愛の対象にはならないと着きつけられた気がしたからだった。だが、それでも兵助は未だに諦められずにいるし、同時に三郎の周囲―特に雷蔵の存在を知ってからは余計に躍起になっていた。
自分をもう子供じゃない、一人の男として見てほしいのだ。
そんな兵助の心理を知っているのか、件の雷蔵は随分と見せつけてくれたものだった。部屋に遊びに来るだけではない、時折三郎を無理矢理部屋に呼び付けて返さないなんて日も兵助が中学に上がった頃には頻繁にあった。流石にそこまで我儘を言えるわけもなく、兵助は悔しさを堪えて「いってらっしゃい」と言うしかなかった。
目の前にある背中はまだ大きい。成長期を迎えて兵助自身身長も伸びたし、筋肉もつき始めている。だが、それでもまだ目の前の父の背中には遠く及ばないのだ。そろりと、手を伸ばして兵助は直ぐにそれを引っ込めた。まだ、まだこの手を彼に届かせてはいけない。そんな風に思って兵助は時計を見やった。時間は8時半、今日は土曜日で三郎の仕事も兵助の学校も休みだ。だが二度寝をする気は到底起きなかった。兵助は小さく息を吐いて、朝食を作るためにベッドをはい出た。
兵助が目を覚ました時に隣にはまだ三郎が眠っていた。正確に言えば二度寝なのだが。少しだけ驚いてその大きな眼をぱちりと瞬いたが確かにそこには自分の養い親が居る。
「さぶろー…」
そう名前を呼べば、眠りが浅かったのか彼はそっと目を覚ました。
「あー…起きたのか、兵助」
ふわぁ、と欠伸をして三郎が目を擦る。うん、と肯けば彼はそっと手を自分の額へと差し伸べてきた。ひたり、と三郎の体温の低い手が触れて兵助は自分の顔が赤くなるのが解った。
「熱は…昨日より下がってるな。でもまだ顔赤いし、今日は寝とけよ」
「あ…うん、」
「朝飯、食うだろ?お粥と雑炊とどっちが良い?」
「…えっと、味がある方がいい」
「じゃあ雑炊な。飯食ったら病院行くからな」
大人しくしてろよ、とそう言って彼は兵助のベットから出て行った。消えてしまった温もりに兵助は少しだけさびしくなる。ぽふりとそこに手を置いて、まだ残っているそれが無くなってしまわないようにしたかった。
病院に行けばもう大丈夫だと言う返答を貰った。熱が出て汗をかいたのが良かったらしい。少しだけ残った咳と鼻水を止める薬をもらって家に帰ってきた二人はきょとんとした顔をした。マンションの部屋の前、三郎とよく似た顔の青年がたっている。三郎よりも柔らかそうな空気をまとっているが、兵助は思わず眉根を寄せた。自分の知らない人間が家の前に居ると言うので警戒したのもあるが、隣に居る三郎が「雷蔵…?」と知らない人物の名前を口にしたと言うのが大きかった。くい、と握っていた手を引いて「さぶろー、誰?」と緊張した声で尋ねれば彼は「あー…友達…」と返ってきた。
「あ、三郎、お帰り」
人好きのしそうな笑みを浮かべた彼はすと兵助を視界にも入れずに三郎の方へと近づいていく。それを視線で追いかけながら、兵助はぎゅと三郎の手を握りしめた。その感触に三郎は不思議そうな視線を向ける。
「兵助?」
「あぁ、この子が三郎が言ってた子?」
預かることになったとは雷蔵に伝えていた。さっきまで意図的に無視をしていたのだろう。今気が付いたという雷蔵の態度に兵助はむっと口をへの字に曲げた。それに雷蔵も気が着いて、更に笑みを張り付ける。
「はじめまして、僕は不破雷蔵。三郎の学校の友達、だよ」
「久々知、兵助…です」
と、掠れた声で名前を告げれば彼はそうと言って直ぐに三郎へと視線を向け直した。
「昨日はびっくりしたよ、急にかえっちゃうんだもん」
「あー…うん、ごめん」
と、困ったように返事をする三郎を見上げながら兵助はくと息を詰める。誰かと話をする三郎を兵助は初めてみた。同い年の友達とはこんな風に話をするのかと、子供心にじりじりとした物が胸に燻る。そんな時だ、喉の奥から空気がせり上がってくる感じがした。
(あ、咳…。でも、三郎、お喋りしてるのに…)
我慢しなくちゃ、と思って口を押さえたがそれでもその小さな手から零れてしまう音ははっきりと大人に届いたらしい。げほげほとくぐもった音に気が着いた三郎が「大丈夫か?」と問いながら背中をさすってくれる。
「うん、だい、…じょうぶ、」
無理するなよ、と言われれば兵助はうんと肯いた。
「あんまり外に居させても可哀相だしね、僕はそろそろ帰るよ」
「あ、悪いな、雷蔵。上がってももらってないのに」
「いいよ、今日は三郎の様子を見に来ただけだから。また明日、大学で」
「あぁ、またな」
そう言ってすれ違って行く二人を見る。にこりと、柔らかな笑みを浮かべた雷蔵を見て兵助は何となくじりと胸が痛くなるような気がした。
思えばあれが最初にこの男―不破雷蔵に対して初めて嫉妬した時なのだと兵助は思い出した。どうしてこいつがここに居るのかと、兵助は玄関のインターフォンに出た事を後悔した。にこにこと相変わらずの笑みを張り付けて、彼はたっていた。
「おはよう、兵助」
「おはようございます」
と、短く挨拶を交わして即座に「何の用ですか?」と問うた。まぁ大方三郎を迎えに来たとかそう言うのだろうけど。大学を卒業して社会人になったにも関わらずこの二人の関係は続いているらしい。それが何よりも悔しかった。雷蔵は昔から三郎を狙っているし、三郎もそれを悪い様に思っていないのが一番最悪なのだ。
「…勿論、三郎を迎えに」
そう言ってまた笑みを浮かべる雷蔵へ少しばかり剣呑な視線を送ってから、兵助は呼んできますと短く返して踵を返した。きぃ、と扉が後ろで止まる音がして外の光が差し込んでいる。
「兵助はさ、自立とかしないの?」
「……は?」
「ほら、ドラマやドキュメンタリーであるじゃない?育ての親の為に大学には行かずに働くって言うの。君はしないのかなって思って」
相変わらず笑顔で毒を吐く男だ。小さい頃から時々二人、三郎の眼がない時はこうやって彼はちくりと刺さる様な事を言ってくる。もっと小さい時―小学生の間こそ解りずらい言い方だったけれど、最近、特に言い返せるようになってからはここまで解り易くなっていた。
(……ようは出てけってことか)
その予測は強ち間違ってはいないのだろう。兵助が自立すれば三郎は自分の時間が今よりももてる。という事はこの男が本格的に関係を深められると言うことだ。
(……ホント、人畜無害そうな顔してる癖に)
ふ、と小さく息を吐いて兵助は首だけ雷蔵の方へと向きなおった。扉に体を預ける姿は