×××コンプレックス!

あの子について。

三郎の職場から兵助の高校までは車で30分程度だ。白の軽自動車を走らせて、待ち合わせ場所の高校の校門まで行けば兵助の姿は直ぐに解った。門に背中を預けて文庫本を読んでいる姿に三郎は、やはり成長するのは早いものだと思う。ちょっと前まではランドセルだったのに、と口元を歪めつつクラクションを軽くならせば、兵助はすと顔を上げた。
「…お待たせ」
「待ってない、今読み始めたばっかりだったのに」
そう言いつつ兵助は特に不満そうではない。持っていた本を真新しい鞄にしまいこんでから彼は助手席に乗り込んだ。
何処に行こうかと言えば兵助はしばし悩んで「じゃあ、アソコ。前に三郎が連れてってくれた料亭がいい」とのたまった。確かあれば兵助が中学に上がった時に三郎の両親が折角のお祝いだからと言って進めてくれた場所だ。金は…ないわけではないが、どうしてこうも渋い好みに育ったのかと三郎はちょっとばかり苦笑する。
「お前さ、男子高校生なんだからもうちょっとガッツリ系がいいんじゃねーの?」
「そう?私はさっぱりしたのとかの方が胃にもたれなくて良いんだけど。三郎こそ、脂っこいの苦手じゃないか」
そう言われてしまえば三郎は返す言葉もなかった。家の家事の殆どは兵助が行っているのだが、確かに食事は余り油を使わないものばかりだ。元々胃腸が余り良くない三郎の事を気にしてくれているのだろう。それを思えば、今回の選択も兵助なりに気を使った結果なのかもしれない、値段は別としてだが。
「…今度父さんと母さんに請求するか」
「ぽーんと出してくれそうだけどね」
そんな会話をしつつ三郎は料亭へと向けて車を走らせ始めた。


教師という人種に最後に此処まで怒られたのは恐らく高校1年生の時だ。電話で呼び出されて、免許を取ったばかりの車を走らせて向かったのは兵助の通う小学校だった。保健室に寝かされた子供は顔も赤く、息も熱っぽい。保護者ならばもっと確り責任を持ってください、と若い女性教諭はまだ18歳である自分を叱り飛ばした。
「子供が子供を育てるなんて。あり得ない!」
と、言われた言葉には流石にカチンときたが彼女の剣幕に押されて何も言えなかった。子供、と彼女に言いきられてしまったわけだが、助手席で苦しそうに息をする兵助を見れば確かにと思ってしまった。親に反発して、何の罪もないただ単に自分に好意を向けてくれている子供ないがしろにしたのは間違いないのだ。子供のすることだと言われてしまえば反論できない。彼女の言葉を深く取ればそうなるのだろう。今日の講義は全て欠席だな、と後2つほど残っていた授業の事を考えた。
マンションの駐車場に着いて兵助を抱えて部屋を目指す。きゅ、と握られた服を見れば、やっぱりまだ子供なんだなと思った。心細いのを隠せないのだろう。病気になると人は気弱になると言うし、特に兵助くらいの年齢なら本来なら母親が着いているものだろう。ずきりと胸が痛めば三郎は思わず舌打ちをした。何で自分がこんな思いをしなければいけないのか。本当なら今頃自分は大学生活を謳歌しているわけで。小さな子供を抱いて、こんな複雑な気持にならずに済んだのに。
服を着替えさせて、ベッドに寝かせればふと兵助は意識が浮上したようで、不思議そうに三郎を見つめていた。何で、と唇が動いて不思議そうだったそれは虚ろな物へと変わる。
「やっぱり、朝熱あったんだな」
「……みたい」
「自覚、なかったのか」
こくりと小さく肯かれれば、さらに罪悪感が増した。もっと自分がきちんとこの子を見ていればよかったのだ。学校を休ませて、薬の場所でも教えてやれば彼は素直に言う事を聞いて大人しくしていただろう。そういう子なのだ。
「三郎、…めいわく、かけた。私…、ちゃんとして、一人で帰ってくる、つもりだったのに」
「……」
くしゃり、と兵助の顔がゆがむ。ぽろぽろと、目の端から零れた涙に三郎はどうしていいのか解らなくなった。
「ごめんなさい、さぶろー、…もうこんな、めいわく、かけないから。…おいださないで、きらいでも、いいから。おねがい、だから」
ごめんなさい、と続けられればずきりとまた胸の奥が痛んだ。本当なら謝るのは自分の方だ。ちゃんと見ていれば、ちゃんと世話をしていれば、ちゃんとこの子と向き合っていれば。こんな風には成らなかったはずだ。ぽろぽろと泣いて謝る子供に、三郎は思わず手を伸ばした。そっと、あやす様に額に張り付いた前髪を撫でてやる。
「追い出さないから、泣かなくていい。…それに迷惑とかいうな、子供がそんな事考えなくていいし」
「…ほん、とう?」
「それに嫌いじゃない、から」
そう、嫌いなわけではないのだ。この子自身をみたことはないのだから、嫌いだとかそんな感情があるわけがない。無関心に近かったと言うのに。嫌いじゃない、そう言うと兵助は涙でぬれた顔でふにゃりと笑った。
「よかったぁ」
掠れてはいたけれど、嬉しそうな声音に三郎もふと小さく笑いを零す。何だ、笑うと意外とこの子は可愛いじゃないか。
「今日だけ特別だ、何でも我儘効いてやるよ。…だからさっさと風邪治せ」
「なん、でも…?いいの?お願い、きいてくれる?」
少しだけ元気が出た様な声で、兵助は三郎を見つめている。あぁ、と肯けば彼は迷う様に視線を彷徨わせた。そして、じゃあね、とやっぱり控えめに口を開いた。
「いっしょに、ねて。…ひとり、いやだ」
「それだけでいいのか?」
「うん、それとも、さぶろーはいや?」
そう言って心配げに自分を見つめる子供に三郎はちょっとだけ呆れた様な笑みを向けた。こんな時でもこの子は自分の遠慮しているのだ。年の割に大人びた子にしてしまったと、短期間ではあるが自分の行動を後悔する。
「何でも良いっつったろ?一緒に寝てやるよ。まぁ、風呂入ってくる間は我慢な」
そう言うと兵助は嬉しそうに「ありがとう」と言って笑った。


部屋に帰ってくれば兵助はそれはそれは満足そうな顔をしていた。久しぶりの二人での外食―兵助にすればデートだ。と言っても、それを三郎に言った事は一度だけで、それ以外はない。小さい頃に「デートだね!」と言えば彼から「ばーか、デートじゃねぇよ」と冗談交じりに否定されてしまった。だが、二人で何処かに行くことを兵助はデートだと心の中で呼んでいた。
先に風呂に行くという義父の背中を見つめて、兵助はふと息を抜いた。随分一緒に居ると言うのに彼は決して意識してくれない。もう高校生になった。本当は言いたい事があるのだが、それはどうしても口に出来ない。
小さい頃、風邪をひいた時に三郎はもうちょっと我儘になれと言った。あの日から、兵助は少しずつ三郎に自分の心を言う様にしてきた。だが、どうしても言えない事が一つある。多分三郎は子供の言うことと忘れてしまっているだろう、自分の初恋は未だに終わってはいないのだ。ざー、とシャワーの音がリビングまで聞こえてきた。
あの時使っていたベッドは姿を変えて今では、大人用の物に変わっている。三郎のベッドは、彼の趣味なのかセミダブルの広いものだ。
「久しぶりに我儘言ってみるかな…」
もうそれは子供のころの純粋な一緒に居たいと言うものだけではないけれど。やましい心がないとは言わない。だけれど、このポジションにまだ居たいとも思う。
「一緒に寝てよ、三郎」
そう言ったら彼は多分自分を子供扱いして、頭を撫でて「しょーがねーな」と言って笑うのだろう。無邪気な悪戯っ子の様な愛しの父の笑みを思い浮かべて、兵助は少しだけ泣きたくなった。