07 / いつもそう。

食満君が最近笑う様になった。
僕がそれに気づいたのは、ちょっと前。
仙蔵と同じクラスの七松君だったかな?
彼が僕達のクラスに借り物に来た時だった。
部屋に授業で使うプログラムを忘れたから、食満君に借りに来たのだ。
食満君は直ぐに七松君の所へ行って、そのディスクを手渡していた。
困ったように笑う食満君の笑顔を、僕は初めて見た。
あんな風に笑うんだと思ったのと同時に、胸の奥が痛かった。
食満君は僕にはあんな風に笑ってはくれない。
もし笑ってくれても、凄く無理している笑顔で、あんな風に自然な笑みはこぼれない。
どんなに一緒にいても、部屋が同じでも、僕では食満君は逃げて行ってしまう。
距離が離れてしまう。
なのに、彼はぽっと出てきて僕が入れなかった距離に入っている。
それが凄く悔しかった、悲しかった。
僕は、食満君ともっと仲良くなりたい。
あの子みたいに「留ちゃん」って名前で呼びたい。
あんな風に笑いかけてほしい。
もっともっと、近くにいたいのだと、そこで初めて気がついた。

でも考えれば考えるほど、僕の思考は悪い方に向かってしまう。
これは仙蔵にも言われた僕の悪い癖なのだけれど、どうしても治せないものの一つだった。
本当は食満君は僕の事など、どうでもいいどころか、嫌いなんじゃないかって思ってしまった。
一度そう思ってしまうと僕の思考は止まらない。
斜面を転がる石みたいに、どんどん悪い方へと考えて行く。
だからそのまま部屋に帰ったのが行けなかったのかもしれない。
仙蔵にでも話を聞いてもらえばよかったのかもしれない。
部屋に帰ればそんな思考の原因である食満君がいるのは解っていた。
「た、だいま」
と、何時も通りぎこちなく挨拶をすると、キッチンに立っていた彼の肩が跳ねた。
「お帰り」
静かに返される挨拶が僕の胸を締め付ける。
その態度が冷たいと受け取ってしまって、僕の口からは思ってもない事が飛び出してしまった。
「ねぇ、食満君はさ…。僕の事、嫌いなの?」
言うつもりなんて無かった。
こんな思考は僕の頭の中に沈めてしまって、また何時も通り当たらず障らずの生活をしていればよかったのに。
でも、一度零れた言葉は止まる事はない。
「伊作?…どう、したの?」
困ったような顔をしながら振り返る彼の顔を見た時、僕にはそれが図星を言われたんだと思えた。
あぁやっぱり僕の事、嫌いなんだって。
そう思うと、思考の渦は更に渦を巻いて、あふれるように広がっていく。
「だって、さ。何時も食満君は僕が部屋にいると出て行ってしまうし、何時も無理してる…。本当は僕が嫌いで、部屋が一緒なのも嫌なんでしょう?」
最後まで目を見て言う事は出来なかった。
肯定されるが怖かったのかもしれないし、自分が他人にこんなことを言うなんて信じられなかったのかもしれない。
頭が沸騰して、何時もみたいに言っていい事と悪い事の判別なんてついてなかった。
「だったらさ、もう部屋も変えてもらおうよ。嫌いな人と一緒に暮らすなんて、」
「違う!」
大きな声に僕はびっくりして顔を上げた。
違う?何が、違うの?と僕はきょとんとした顔で食満君を見つめた。
目の前の彼は何時もの綺麗な顔を歪めて、その眼からは涙がぼろぼろと零れていた。
初めて見た。
食満君だってこんな風に泣くのだ。
ぎゅと、彼は服の裾を握りしめて、あふれる涙を何とかこらえようとしているように見えた。
「何で、そんな事言うんだよ。…お前、暗に俺に、出てけって、言ってるのか?俺が、嫌い、だから。……自分で、言いたくないから、俺がお前の事、嫌いって…そう、言うのかよ」
違うよ、と僕は言いたくても、でも言えなかった。
体が固まって、言葉が出なかった。
違うんだ、違うよ、僕は君が好きだ。
会ったときから、好きで、でもどうしていいかわからなくて、それで…。
何で言葉が、声が出ないんだろう。
僕の唇は動くけれど、喉が音を出してくれない。
沈黙は肯定と取ったのか、食満君はぐいと涙をぬぐって、そのまま玄関の方へ歩いて行った。
「食満君、どこ…」
「俺が出てけばお前は満足なんだろ。だから、出てく」
「待って、僕は…」
そうじゃないんだ、僕は、本当は一緒に居たくて、でも君が無理をしているならって。
だけどそんな言葉は声にはならなくて。
「煩い!」
一喝されて、僕の体はまた固まった。
目の前で扉が開いて、その向こうに彼の姿が消えて行く。
完全に扉が閉まってから、僕はその場にへたり込んでしまった。
どうして、僕は、彼を追いかける勇気すら持っていないんだろう。