12 / 他の誰でもない

それまでの私の世界はとても狭くて、暗かった。
ここに連れてこられた時、私は絶望した。
もう、雷蔵には会えないと思った。
毎日泣いて、毎日暴れて、研究員の手を煩わせた。
それでも研究は進んで、私の前に三人の子供が現れた。
二人は私の子供―細胞を分けた実験体、もう一人は雷蔵の代わりだと言われた。
実験体の二人を見た時、私は何故かそれが酷く愛しいものに思えて、直ぐに懐いた。
二人とも私よりも一つ年上だったけれど、私が守らなければと思った。
もう一人とは、なかなか打ち解けられなかったけれど、彼はめげずに私の事を好きだと言った。
「私は誰よりも三郎が好きだよ」
その言葉は二人の子供から言われる言葉とは別の意味を持っていて、私の心を揺さぶった。
それでも、私の心には雷蔵しかいなくて、彼の―兵助の想いにこたえる事はどうしても出来なかった。
「それでも良い。私は三郎が好きだから、傍にいる事を許してくれればそれだけで良いんだ」
そう言って兵助は笑ってくれた。
だから私は親友と言う言葉で私たちの関係を定義づけた。

中等部に上がってすぐに、私の希望は打ち砕かれてしまった。
そこで再会した雷蔵は私との約束はおろか、私の事を欠片も覚えていなかった。
それが悲しくて私は兵助に八つ当たりばかりしてしまう。
した後は何時も後悔ばかりで、謝る事も出来ないのだけれど。
食堂の片隅で拙い珈琲を飲む。
やっぱり豆から挽かないと美味しくない。
タカ丸の入れてくれる珈琲は美味しかったな、と暗いイメージしかないはずの研究所を懐かしく思ってしまった。
ゆらりと香る湯気からは珈琲本来の香ばしい薫は消えてしまっている気がする。
どうしたものか、と透過加工された壁を見つめた。
向こう側に見えるのは真っ暗な宇宙で、母星はまだ見えない。
月の昼夜は長いけれど、母星に倣って管理されているせいか、ここの24時間は狂う事が無かった。
「…三郎?」
自分を呼ぶ、聞き覚えのある声に私はゆっくりと振り返る。
「と…じゃ、なくて、食満先輩」
ここでは決して名前で呼び合わないと言うのは私が入学するときに決めた事だった。
兵助だけは、同学年になるし違和感もないからとそのままだけれど。
初めて呼ばれる名字の響きに、留は戸惑ったような笑みを浮かべつつ、私の正面の席に腰かけた。
「…最近、どう?」
そう短く聞かれて、私は視線を軽く下にうつむけた。
隠せない、というのはもうしょうがないのかもしれない。
私から子供へはどういうわけか隠し事が出来ない。
逆は可能なのに、不公平だと思わなくもないが、それは留が私以上に大切な人を見つけてしまったからなのだと思っている。
「雷蔵が、私を覚えていません、でした」
何とか絞り出した声はきっと震えていたのだろう、それに食満先輩は眉根を寄せる。
そうか、と短く返されれば私はテーブルに突っ伏してしまった。
拗ねてしまいたい。
アンタは良いだろう、もうパートナーを得て、私みたいに惨めな想いをしていないんだ。
私の事なんか忘れて、あの人と幸せになればいい。
私を放っておけばいいんだ、と油断をすればそんな八つ当たりがこぼれ出そうだった。
「三郎…」
「名前で、呼ぶなって…。この間決めたばっかりだ」
そう言うと、ごめんと言葉が降ってくる。
そっと投げだした手に食満先輩の手が重なって、私は漸く顔を上げた。
「でもさ、他人のふりするって約束したけど…。お前が辛い時は慰めさせてくれよ。これでも、親子だろ?」
「私が親なのに…」
「年齢的には俺の方が上だよ」
そうだけど…、と拗ねてみれば食満先輩はくつくつと楽しげに笑う。
何時もの、昔から変わらないちょっと困ったような笑顔だ。
「…先輩は、もう、クロスをしたんですか?」
「まだ…かな」
そう言って、彼はそっと視線を下に向けた。
この間、タカ丸にも言われたのだと続ける。
あぁ、やっぱりタカ丸さんもそれが気になっていたのかと、まだ研究所で体調を調整しているもう一人の子供を思う。
コモンズから、そして私から通達された彼らの期限はもうそこまで迫っていた。
タカ丸さんだって、急がなければ寿命の方が先に来てしまう。
下手をすればあの人はそれでいいとか言いそうだから、私はコモンズを急かしたりしているけれど。
タカ丸さんだけじゃなくて、この人までそれで失ってしまうのは嫌だった。
重ねられた手をひっくり返して、ぎゅと握ってみる。
指をからめて、傍から見れば恋仲にでも見られてしまうくらいに。
「でも、私は何となく、先輩の気持が解ります…」
「鉢屋……」
「どうせするなら…生きることに必要だって解ってるけど…、ちゃんと通じてる時が良いって、私も思う」
「……」
「私だって、ただ生きるためなら、雷蔵を襲ったって良いんです。手段なら幾らだってあるんだ…、私はマザーだから、相手を兵助に変えたって良いんだと思う。…でも、やっぱり本当に繋がりたいのは、一人だけだもの。相手もそう思ってくれないと、意味がないって思います…」
だけど、彼の主張を私だって大事にしたいと思う。
私には彼の気持が解るから。
親子だとか、細胞がどうのとか、そんな事じゃなくて、同じ部分があるからだと。
だけど、同時に失いたくないと思っているのも事実だ。
「…でも、私は、先輩に消えてほしくないんです」
消えないで、もうこれ以上私の前から居なくならないで。
お願いだから、私を一人にしないで…。
私はとても我儘だ。
雷蔵だけでいいと思う反面、留やタカ丸も離れてほしくないと思う。
本当は彼にパートナーが見つかった事も喜ばなくてはいけないのに。
なのに、喜べない、拗ねてしまう。
「…ありがとう、鉢屋」
そう言って食満先輩はやっぱり困ったように笑った。
あぁ、やっぱり私はとても我儘だ。