Her hearts

彼女の想い

学校に行くのが憂鬱になってもう何日立つだろうかと三郎は息を吐いた。
最近は態と電車の時間をずらして、竹谷と顔を合わせないようにしていた。
理由は委員会のせいだと言っている。
とはいえ、その理由もそろそろ限界がやってきそうだった。
(でも、まともに顔を合わせる自信が…ない……)
と、三郎は小さくため息を吐く。
どうしてもぎこちなくなってしまうし、三郎はそれに耐えられる自信がなかったのだ。
今回も朝一で学校に着いたは良いが、一人ぽつんと教室の自分の席に座っているのは流石に寂しかった。
人が来る気配はまだない。
それに安堵して、三郎は机の上に突っ伏した。
最近は上手く眠れない日が続いていて、電車の中でも少し寝かかっていたのだ。
(眠い…でも、もう少ししたら…みんな来ちゃう…)
でも、眠いと言うのが今の彼女の本音だった。
駄目だと思いつつも、三郎の瞼はゆっくりと重力に負けて行く。
(いいや、たまには…)
そうあきらめてしまった時でも時計はまだ7時にもなっていなかった。

「三郎…、あいつ登校時間どんどん早くなってねぇか?」
竹谷は昇降口の三郎の下駄箱を見ながら、半ば呆れて呟いた。
今日こそはと意気込んで、教室で待ち伏せしようかと思ったせいでこんな早朝に出てきたが、三郎は更にその上を行っていたようだった。
だが、この時間ならば人もいない。
それに三郎は竹谷がこんな時間に来ているとは思ってもないはずだ。
(教室で予習でもしてる、かな?)
竹谷はそんな予想を立てて、教室への階段を上っていく。
理系特進クラスの教室は2年生の階の一番奥にあった。
竹谷の推薦クラスはその隣になる。
自分のクラスの前を素通りして、竹谷はそのまま特進クラスの前に立った。
(あれ?ドア、空いてるし…)
予想に反して扉は完全に開け放たれていた。
早めに登校してくる生徒のために鍵は早めに開けてあるとは聞いていたけれど。
(誰が開けっぱなしにしたんだ?)
三郎?と小さな声でその名前を呼びながら、竹谷は教室の中を覗き込んだ。
静かな教室の中に、よく知った茶色の髪が見える。
こくりと、竹谷は息をのんでそれからそっと彼女に近づいて行く。
上下する肩で、彼女が眠っているのが解って、竹谷は声をかけるのを戸惑った。
こんな風に居眠りをする三郎を見た事がなかった。
それほど、寝ていないと言う事なのだろう。
恐らく、自分たちの事を悩んでの事なのだろう。
それを思うと、胸の奥がずきりと痛む気がした。
「三郎、…こんなところで寝ると風邪ひくぞ」
三郎、ともう一度名前を呼べば三郎の頭がゆっくりと持ちあがった。
切れ長な目がそっと開いて、幾度か瞬きを繰り返す。
「三郎、おはよ」
「は…ち?」
そう名前を呼ばれて、ん、と肯けば、急に三郎の眼がぱちりと開いて、それから勢いよく立ち上がった。
「は、ハチ、お、はよ…」
えっと、と慌てて何か言おうとしている彼女は気まずそうに視線をそらしている。
(こりゃ、相当厄介かも…)
ここまで誤解を解かずに、ある意味逃げ続けていた自分が恨めしくさえある。
「…わ、私、委員会の用事があって…」
それで、と続けながら逃げだそうとする三郎の手をとろうとする。
「でも、さっき寝てただろ?」
そう言いながら逃げようとする手を無理矢理つかめば、三郎がびくりと震えるのがわかった。
普段はクールなんて言われている彼女だが、実際はこんなに臆病でかよわいのだ。
それを知っているのは、本当に一部の人間で、その中に自分も含まれていると思うと優越感も沸いてしまう。
だが、今はそんな事を言っている場合ではなかった。
「寝てた…けど…」
「三郎、お前さ、あの噂、気にしてるだろ?」
もうまどろっこしいのはやめようと、と竹谷は軽く息をのんだ。
あの噂、という言葉を聞けば三郎の体が更に強張って、あからさまに視線をそらしている。
「お前、さ…やっぱり、信じたの?あの、俺と兵助の噂」
「し…んじて、ない、…けど」
けど、と三郎の声はどんどん小さくなる。
言いたいけど、言えない。
そんな表情の彼女を前にして、竹谷はあのさ、と言葉を次ごうとした。
「でも、信じてないけど、嫌だった。ハチの彼女は…私なのに。でも、私はそれが言えないし…。そんな自分が凄く、嫌だった…」
きらと、照明が輝く。
それを反射して、三郎の目元が光るのが解った。
それを見た瞬間、竹谷は三郎の腕を思い切り自分の方へと引いた。
今まで考えていた、言い訳やら誤解を解く言葉なんて全部何処かに飛んで行ったようだった。
「ハチ?」
「ごめん、三郎。俺…全然、三郎の事考えてなかった。自分の事ばっかりだった。…三郎と別れるのが嫌でさ、三郎に嫌われるのが嫌で…三郎がどんな気持ちでいるのかとか、全然…考えてなかった」
ごめん、と続ければ、そろりと三郎の腕が上がるのが解った。
その腕はそのまま竹谷の背中に回って、きゅと控えめに彼の制服を握った。
「でも…私、ハチと兵助から逃げ回って…。どうしていいのか、解らなくて…、私…仲直り、したかったけど…でも」
「うん…、俺も三郎と仲直りしたかった。だからさ…、俺、三郎に受け取って欲しいものあるんだ」
「…なに?」
そう言って三郎はそっと顔を上げる。
今にも泣きそうなくらいに目が潤んでいた。
これ、と言って竹谷は制服のポケットに手を入れる。
ここに来るまで絶対になくさないようにと、彼はそこにネックレスを入れていたのだ。
かさりと、音を立てて包みは三郎の手に渡った。
開けてよ、と促せば三郎は小さくうなずいてからそれをそっと開ける。
出てきたのは…前に、欲しいと思いながら結局あきらめてしまったネックレスだった。
「ハチ…これ…良いの?結構、高かったのに…」
「ん、俺の小遣い今月分吹っ飛んじまった。でもさ、これ渡すのにかこつけて、三郎と仲直りしたかったんだ。だからさ…受け取ってほしいんだ」
駄目かな?と続ければ、三郎はゆっくりと首を横に振る。
きゅ、とそのネックレスを握って、とんと竹谷の肩口にその額を預けてくれた。
「…凄い嬉しい、ありがとう、ハチ」
「これで、元通り、だな」
そういうと三郎は「うん」と小さくうなずいた。
多分これで元の通りに、一緒に過ごせると彼女は嬉しくてまた泣きそうになった。

その日の朝、兵助と竹谷の噂は消え、竹谷の真の彼女は鉢屋であるという話が彼らの学年中に知れ渡ったのだった。

後書き