妙な疑いがかかってしまった、と兵助はぼんやりと窓から外を見る。
今は理系推薦クラスの体育の授業だった。
窓際の後ろの方に席がある彼は時折他のクラスの授業風景を見ながら退屈な授業をやり過ごしたりしていた。
グラウンドでは今期の課題であるサッカーを楽しそうにしている同級生たちが見えた。
元々体育は得意ではないが、ああやって動き回っているのを見ると今自分が受けている英語がばかばかしくなってくる。
国際社会だとかなんだとか言われるがどれほど必要なのかが実感として伝わってこない以上、兵助には必要だとは思えなかった。
それでも、テスト前には勉強するのだが。
ふとグランドで見つけた灰色頭に兵助は思わずため息をついた。
何かを気にするように自分たちのクラスをちらりと見つめ、それからふいと視線をそらす。
大方、彼が―竹谷が誰を探しているのかなど直ぐに解ったのだが。
(だから、三郎は俺の隣の席だから窓際じゃないって)
何度教えれば解るんだ、とまるで犬か何かの様に自分の彼女には忠実な彼を見て、思わずため息をこぼしてしまう。
それから、ちらと隣の三郎へと視線を向けるが、彼女の方も方で、こちらを見ては不自然に視線をそらしてきたのだ。
それが解れば、流石に兵助も落ち込まざるを得なかった。
(…初恋だけじゃなくて、親友っていうポジションも無くなるのか)
目の前のアルファベットが羅列されている教科書に向かって、彼は深いため息をついた。
兵助が三郎に初めて出会ったのは高校の入学式でだった。
桜の花の舞う並木道を歩み、校舎に入って、それから自分の教室へと向かう。
入試の時点から、それを基にしてクラスが組まれると聞いていた。
理系というだけあって、圧倒的に女子の数が少なく、男子校のような風景を見て少し落胆してしまった。
だが、自分の隣の席に来たのは女の子だったのだ。
「ここ、か」
と、小さく聞こえた男にしては高く、女にしては低い声に兵助は顔を上げる。
ふわりと、茶色の髪が揺れて彼女も此方を見るのが解った。
かち合う視線に一瞬、気まずい沈黙が降りて、兵助はしまったと思った。
名も知らぬ隣の席の女の子と視線も逸らせずに、それどころか瞬きも出来ずにいる。
(あ、結構、かわいい…)
と、思った時、先に口を開いたのは向こうの方だった。
「あー…っと、私は鉢屋三郎。その…今日から、よろしく…」
ぎこちなくされた挨拶に兵助ははっと我に返った。
何考えてんだ、と思いつつも彼もゆっくりと唇を動かす。
「えっと、こっちこそ。…私は、久々知兵助って言う」
「久々知?どんな字を書くの?」
「あぁ、久々に知るって…」
二人の出会いはそんな些細なことだった。
何処の学校でも良く見られる光景、それを思い出しながら兵助はまたため息をついた。
流石にあんな噂が立っているせいで、竹谷と一緒に帰るわけにもいかない。
三郎は避けてくるし、そうなると必然的に雷蔵とも縁遠くなる。
一人での帰り道は今日で何日目だろうと、目を細めた。
随分あの四人で遊んだりしていない。
家に帰ってもすることと言えば予習と復習くらいだ。
無駄に有り余る時間のせいで、余計に進んでしまって兵助自身もいい加減あきてしまった。
ふらり、と自分の家の近くの商店街へと足を伸ばした。
そうだ、と彼は自分の前髪を視界に入れた。
「…切るか」
そう呟いて彼は行きつけの美容室へと足を向けた。
「あっれぇ?兵助君、久しぶりぃ」
「おやまぁ、久々知先輩じゃないですか」
美容室の扉をくぐればそこには見知った顔が二つあった。
一つはここにいて当然の美容室の跡取り娘―斉藤タカ丸である。
だが、もう一人は彼女の恋人である、隣の工具店の息子の綾部喜八郎だった。
「綾部、お前またここに入り浸ってるのか…」
「そりゃあ私とタカ丸さんは将来を誓い合った仲ですから」
そう言って喜八郎はぎゅとタカ丸に抱きついて、片手でピースサインを向けてくる。
その様子に思わず頭を抱えて「バカップル…」と、兵助は呟いてしまった。
とにかく、とタカ丸が兵助を椅子に座らせた。
いつもどおりにと注文を告げれば、彼女は解りましたと言いながらビニールのカバーで兵助の胸元を覆う。
そこに散らばり始める黒髪を見ながら、思わずため息をこぼした。
「…そう言えば、噂になってるよね、兵助君」
「もしかして、1年生の間でも有名なの?」
そう尋ねるとタカ丸は「まぁね」と苦笑をこぼした。
「僕は鉢屋さんの事も竹谷君の事も、兵助君の事も知ってるからびっくりしちゃったけど。…結構、本当じゃないのかって1年生の間でも悲鳴が聞こえてたよ」
「悲鳴?」
どういう事?と兵助は眉間にしわを寄せながらタカ丸を見やった。
その様子に隣で喜八郎が「ほらやっぱり」と言いながら顔をのぞかせた。
「自覚がないんですねぇ、もてる男と言うのは」
「もてるって、誰が?」
「そりゃあ久々知先輩ですよ」
「は?」
と、言いながらぽかんと口を開ければ、その顔を鏡越しに見ていたタカ丸が噴出した。
「兵助君、本当に知らなかったの?結構人気あるんだよ?…こっそりファンだったとか、実は好きだったのにって言ってみんな悲鳴上げてたんだ」
「…知らなかった」
「あ、でも何人かは鉢屋さんじゃなくてよかったとか言ってたなぁ。男の人が好きなら、それはそれで諦めがつくとか」
「まぁ、性別は超えられない壁とも言いますけどね。あ、私はタカ丸さんが喩え男でも愛する自信はありますよ?」
「誰も聞いてないだろ、そんな事…」
はぁ、とため息をついて兵助は肩を落とした。
その様子を見れば、タカ丸と喜八郎はきょとんとした様子で顔を見合わせている。
「…私としてはさっさとその噂が消えてほしいんだけどな…、三郎が私を避けるから」
「そうなの?」
「鉢屋先輩は気にしそうにないと思っていたんですけど。意外ですね」
「最近知ったらしくてさ。…目も合わないんだよな。はっちゃんともぎこちなくなってるみたいだし…正直、私も責任を感じると言うか、居たたまれないと言うか…」
「寂しいとか?」
寂しいかと聞かれれば、兵助はまぁ、それもあるけど、と視線を下へと逸らす。
相変わらずこの人は変なところが鋭いとタカ丸を見やった。
「…まぁ、負けた男が親友というポジションまで奪われようとしているわけですからね。仕方ありませんね」
「もう、喜八郎、なんでそういう言い方するかなぁ」
「でも本当の事ですよ」
「はっきり言ったら駄目だよ」
「……お前ら、私を慰めてるのか?それとも傷をえぐってるのか?」
そう突っ込みを入れた兵助の声は少しだけ潤んでいた。
この二人はかつての兵助の気持ちを知っている数少ない人間だった。
「でもさ、向こうも…鉢屋さんもどうしていいのか解らないんじゃないのかな?あんまり感情を表に出せる方じゃないでしょう?だから、どう気持をぶつけていいのか困ってると、僕は思うんだけど」
「なら、こっちから行った方が良いのか?」
それで避けられたら、と言葉には出せずに心の中で続ける。
その間も、ぱさぱさと髪の毛はビニールの上に降り注いでいる。
「…待ってあげれば良いんじゃないかな?鉢屋さんの気持ちの整理が出来るまで。それに、彼女に何かする必要があるのって、兵助君じゃないと思うけど」
ねぇ、喜八郎とタカ丸は隣にいる喜八郎に言葉を向けた。
それに彼もそうですよ、と肯く。
「そこはやはり、竹谷先輩に男を見せていただきませんと」
「そうそう」
「やっぱりはっちゃんかぁ」
と、兵助は美容院の天井を見上げながら呟いた。
今、やつはどうしているだろうと、魚に餌を上げられない男を思うのだった。
後書き
ってことで、兵助のターン!
地味に難産で、随分間が空いてしまった…orz
とりあえず次ぎは竹谷メインで書ければ良いなぁと。にしてもこの三人が地味に好きです。