白詰草とクローバー

それから数日、何か大きな事件もなく三郎は相変わらず小さいままだった。
最近では大分兵助にも懐いてくれて、膝に座ってくれるようにもなっている。
子供にしては珍しいことに、ホームシックもない。
我慢しているのかと思うくらいに、家を恋しがらなかった。
一度、家に帰りたいとか思うのかと聞いてみたが暫し困ったような顔をして、首を横に振った。
「雷蔵もハチもへぇすけも、みぃんな大好きだから、帰らなくても良いよ」
と、笑みを浮かべたのだった。
雷蔵が頭を撫でながら「そっか」と言うと「うん」と可愛らしく頷いていた。
だが、今日に限って5年生が揃って実習で学園を開けることになってしまった。
とうの三郎は寂しそうにしたけれど、結局「良い子で待ってる」と言ったが、むしろ大騒ぎしたのは兵助だった。
「残る!三郎を一人になんてしておけない」
と駄々をこね始めたのだ。
預かって貰う約束をしていたタカ丸にわざわざ長屋の方まで来て貰い、兵助を竹谷が羽交い締めにして、三郎を彼に引き渡す。
「卒業とか進級なんてどうでも良いよ、私は三郎と一緒に居るんだ!」
滅多に見せない様相に最初はうろたえたが、このままでは自分達まで遅刻してしまう。
むしろ三郎が黙ったのは兵助が駄々を捏ねたからなんじゃないだろうかと二人は顔を見合わせた。
子供は自分以上に騒ぐものがあると黙ってしまうらしい。
その原理かも知れない。
半分涙目になった兵助に三郎がととっと近づいていく。
「へぇすけ」
「三郎?!なんだ?」
と嬉しそうに尋ねると、んーっとね、と考えるように呟いた。
「我が儘言っちゃダメだよ、へぇすけ。めっ!」
言いながら、三郎は兵助の額をぴんと指で突いた。
子供の攻撃ならば痛いどころか痒い位だ。
「…さ、三郎?」
「お勉強はちゃんとしなきゃダメって、父上も言ってたよ。へぇすけ達はお勉強でしょ?私はタカ兄ちゃんと一緒にいるから平気だよ」
ね、と後ろを振り返ってタカ丸と顔を見合わせると二人して、にっこり笑みを浮かべた。
その様子を見て、兵助は「はい…」と思わず返事をする。
「三郎、ちゃんと夕方には迎えにくるからね」
「それまで良い子にしてんだぞ。…じゃあ、タカ丸さん、お願いしますね」
雷蔵と竹谷がタカ丸とまるで親のような会話を交わして、兵助をサイドから挟み込んだ。
「いってらっしゃい、頑張ってねー」
「いってらっしゃぁい」
と、振られる手に見送られながら、三人は(兵助は引きずられながら)その場を後にしたのだった。

元気よく外で遊ぶと言うよりは、部屋で本を読んだりする方が好きな三郎はタカ丸の部屋で寝そべったまま、本を読んでいる。
自分はと言えば、今日は座学の授業を終えて、部屋で子守という状態だ。
い組とろ組はそれぞれで授業があるから、同じ学年の友人達は尋ねてこない。
二人して、寝そべって本を拡げるとちらと三郎がタカ丸の持っている栞へと目を向けた。
「タカ兄ちゃん、それなぁに?」
「ん?これ?栞だよ」
可愛いでしょーとその栞を三郎に見せる。
厚手の紙に四つ葉の押し花を貼り付けてそれに、薄い和紙を貼り付けた手作りの栞だった。
それを見せると、じぃっと三郎は興味深げにその中の押し花を見つめている。
「中の、草は何?」
「あぁ、これはね。四つ葉のクローバー。喜八郎がね、見つけたから上げるって。幸運のお守りなんだってさ」
「お守り……」
と、三郎は小さく呟いた。
「それがどうかしたの?」
何か思うところがあるらしい子供にそう問い返すと、三郎は「んっとね」と言葉を句切る。
「お礼をしたいなって…」
「お礼?」
うん、と三郎は頷いた。
「らいぞーとかハチとか、へぇすけとか。みんな私に優しくしてくれるから。仲良くしてくれて、有難うって」
それからね、とまだ何かあるらしく彼は言葉を続ける。
「実習とか、危ないことするみたいだから。お守り…が、いいかなぁって…」
そう言って自分を見上げてくる子供を見ながらタカ丸はにっこりと笑みを向ける。
「そっか。じゃあ、一緒に探しに行く?お部屋の中でじっとしておくのも退屈だもんね」
そう言うと三郎は嬉しそうに笑って「うん」と大きく頷いた。

探しに行くと言っても、今は秋、何処か無いものかとタカ丸は思案した。
そう言えば、と彼が思い出したのは学校の裏にある場所だった。
前に喜八郎が彼処だと色々植物が生えていると話していた。
それを元にその原っぱへと行けば、日当たりが良く土の栄養もしっかりあるらしく、植物が生い茂っている。
三つ葉もまだ生えているらしく、二人で笑みを浮かべながら、そこで三郎の四つ葉探しが始まった。
小春日が注ぐ原っぱは昼寝にも丁度良いくらいだが、探すという行為に没頭する子供には関係ないらしい。
三つ葉の中に手を入れて、違うー…と呟きながら探すのを手伝いながら、何だかんだで仲が良いのだなぁと一つ上の学年の子達を思い浮かべた。
茶色の髪が緑色の草の中を移動するのを横目にタカ丸も手伝おうと体をかがめる。
遠くで「あったー!」という声を聞いて彼の口角も微かに上がった。
昼過ぎから夕方まで、何かに没頭していれば時間が過ぎるのは早かった。
一つ目から二つ目、これを探すのになかなか時間が掛かった。
幸運のお守りだとは良く言ったものだとタカ丸も苦笑する。
結局鐘が鳴るまでに見つかったのは2つだけだった。
「…後、一個。どうしよう……」
三郎は手にした四つ葉を見ながら困ったように呟く。
見つけられない後一つ。
元々二つ目も見つかったのが幸運の証のようなものなのだが。
それでも人数分集めたいらしい三郎は、小さく溜息を吐いた。
「明日また探す?」
そう尋ねると、三郎はうー…と困ったような声を漏らす。
だが、その後、「あ」という何かを見つけたような言葉が零れた。
「白詰草だ」
「本当だ。秋なのに凄いねぇ。最近温かかったら、勘違いして咲いちゃったのかな?」
珍しい、とタカ丸もその白く丸い花を見つめる。
「タカ兄ちゃん、これ、四つ葉の代わりになる?」
そう期待を込めた視線を向けられてタカ丸はにっこりと笑みを浮かべて、頷く。
「大丈夫だよ。四つ葉も珍しいけど、これはそれよりももっと珍しいもの」
そう言うと三郎は嬉しそうに「じゃあ、これにする」と頷いたのだった。

雷蔵と竹谷が帰ってきたのは三郎とタカ丸が部屋に戻って直ぐだった。
贈り物をすると自分で言ったは良いが、やはり恥ずかしさもあるのだろう。
もじもじしながら言い澱んでいる彼の背中をタカ丸が押して、四つ葉を二人へと手渡させた。
「いつも、有難う」
そう言って渡される物に雷蔵は嬉しそうにはにかんだ笑みを向け、竹谷は最初かなり驚いたが結局「ありがとな」と言って、三郎の頭を撫でた。
「らいぞー、ハチ、へぇすけは?」
そう言えばいないと首を傾げた三郎に、二人は「あぁ、」と苦笑を零した。
「兵助、反省文食らったんだよ、集中力散漫とか言われて」
「兵助君が?」
タカ丸も珍しいと言うように目を見開いた。
い組の秀才なんて言われる彼が、と意外そうにする。
それに、雷蔵も同意を示して、頷いていた。
「そう。よっぽど三郎が心配だったみたいで。まぁ、今回はそんなに危ない実習じゃなかったから良いんだけどね。あんまり酷いからって木下先生が怒っちゃって」
其の言葉に竹谷もタカ丸を苦笑を零してしまった。
解ってないのは三郎だけで、きょとんとしている。
「三郎、兵助向かえに行く?多分、そろそろ終わってる頃だろうから」
そう提案すると、三郎は首を緩く横に振った。
「兵助の部屋の前で、待ってる。そこに帰ってくる、でしょう?」
そう言われて三人は「そっか」と頷いた。

結局兵助の反省文が終わったのは、それから半刻ほどしてだった。
書いている間も三郎の事が気になって仕方がなかった彼は、一度書き直しを言いつけられて、その後無理矢理に押し通して戻ってきたのだ。
多少早足に成りつつ五年長屋へと足を踏み入れる。
取りあえず雷蔵達の部屋へと、思っていれば縁側に座る小さな影を見つけた。
「三郎?」
と試しに呼んでみるとその顔がさっと上がる。
何でこんな所に?と近くの部屋を見るとそこは自分の物で、もしかして待っててくれたのかと少しだけ胸が熱くなる気がした。
「…へぇすけ、もうお勉強終わったの?」
廊下に立って、首を傾げる三郎に「うん、待たせてごめんな」と言うと彼はゆっくり首を横に振る。
そして、もう少しだけ三郎は兵助の方へと歩を進めた。
後ろ手に何か持っているのか、ずっと両手は背中へと回っている。
何だろう、と首を傾げてその様子を見守っていれば、其の手がさっと前に回って、そして、兵助の胸に何かと一緒に押しつけられた。
「あのね、へぇすけに…これ、上げるっ」
そう言って、さっと三郎は離れる。
手が一緒に離れていけばそこからこぼれ落ちる白詰草が目に入って、兵助は慌ててそれを受け止めた。
「え、え?」
と、一瞬解らないと言うようにしている彼をよそ目に三郎はまた数歩後ろに下がった。
「それ、今日見つけたの。季節を間違って咲いてて、珍しいから。へぇすけだけ、それ、上げる」
そう言って、三郎はさっと踵を返した。
「三郎!」
そう声を掛けると三郎は「ご飯の時にね!」と言い放って、そのまま雷蔵の部屋に消えていった。
一人残された兵助はじっとその白詰草を見つめる。
へぇすけだけ、という言葉がぽかんと頭に浮かんでいるような気分だった。
「私、だけ…」
その言葉を呟きながら彼は自室へと、ふわふわした、そんな足取りで入っていった。
次の日、彼の宝箱に白詰草の押し花で作った栞が追加されたのだった。