髪結い

すっかり喜八郎に怯えてきってしまった三郎はその後、タカ丸の部屋に呼ばれても、兵助に抱きついたままだった。
怯えてるから帰れと婉曲的に言っても、喜八郎は我関せずを貫き通している。
タカ丸は兵助の膝に乗っている三郎を見ながらわくわくしたような顔を隠せずにいた。
「俺ね、忍たまになる前は髪結いをやってたんだぁ。ずぅっと鉢屋君の髪を見せて貰いたかったんだよ?」
と言うと、三郎は出来る限り喜八郎の方を見ないように、タカ丸へと視線を向ける。
「私の?」
「うん。鉢屋君の地毛、どんなのか見せて欲しくて。ダメかなぁ?」
タカ丸が首を傾げると、三郎は暫し悩むように鬘に手を当てる。
この下にある母親譲りだと聞いた髪、それをどうするべきか悩んでいるらしい。
その様子を見ながら、タカ丸が「やっぱり無理かなぁ」と喜八郎へと言葉を零した。
それを聞いた彼はじぃっと三郎を方を見つめて口を開く。
「鉢屋先輩なら、見せてくれますよね」
恐怖の対象の言葉と言うのは絶大らしい。
三郎は唇を微かに戦慄かせるとこくと一度頷いて、鬘に手を掛けた。
「だ、ダメだよ、喜八郎。脅したりしたら、可哀相じゃない」
慌ててタカ丸が制すると「頼んだだけですよ?」と喜八郎は帰す。
(いや、今のは半分以上脅しているだろう…)
と、兵助も三郎を後ろから抱きしめながら、あまりの事に身震いする。
ぽんと肩に手を置いてやれば、三郎は鬘もその下の布も全部取っていた。
「わぁ、綺麗な黒髪だねぇ。子供ってのもあるかも知れないけど、天使のわっかが出来てるー」
ちょっと良い?とタカ丸が首を傾げて、自分の前を見つめる。
「ここに座ってくれると嬉しいな。あ、喜八郎、俺の後ろに来てくれる?」
「どうしてですか?」
と尋ねられてタカ丸は「…近くにいたいからだよぅ」と小声で返事をする。
(バカップル…)
と、思わず頭に浮かぶがタカ丸が苦笑を零してその意図が何となく解った。
あぁでも言わなければ、怯える様子が楽しくて仕方がない喜八郎は、三郎の正面に居座り続ける可能性がある。
喜八郎はと言えば、タカ丸の言葉に微かに照れながら、後ろへと移動した。
しかもご丁寧に、背中へ抱きついている。
(私は空気か……)
と、微かに天を仰ぎたくなったが、喜八郎に当たり続けられるよりは余程マシだった。
さらりと、手触りの良い三郎の地毛に触れて、タカ丸はふにゃんと笑みを零す。
「傷みも枝毛も、切れ毛もないなぁ。理想的な髪だよー、鉢屋君。今だとどうなのかなぁ?お手入れとかちゃんとしてるのかなぁ」
後半はもう独り言だろう。
14歳の三郎の髪、と兵助はその肌触りをぼんやりと思い出す。
今よりも少々髪は硬いけれど、さらさらと零れるくらいの肌触りだった気がする。
それが、白い背中に落ちて、肌に貼り付いて…最後に見た14歳の三郎の地毛の記憶だった。
「…豆腐先輩、顔が気持ち悪いです。崩れた豆腐みたいな顔ですよ」
「崩れた豆腐って、豆腐に失礼だぞ、綾部」
切り返したのに、(何でそこに反応するんだろう)とタカ丸と三郎は同じ所に反応してしまった。
「うん、まだ切らなくても大丈夫な長さだし。ありがとう、鉢屋君、すっごく良い髪でした」
そう言って、タカ丸はぽんと三郎の肩に手を置いた。
その優しげな仕草に三郎も後ろを向いて、にっこりと笑みを返す。
ほのぼのしてるなぁ、とその様子を見ながら思っていれば喜八郎が顔を覗かせて、にたぁと三郎に笑いかける。
それにびくぅとやはり肩を振るわせて、やっぱり三郎は兵助の方へと逃げ込んでいた。
「綾部…お前、本気で楽しんでるだろ?」
「はい。あの鉢屋先輩に怯えられるなんて、滅多に出来ない体験ですから」
楽しくて、と更に顔を覗かせようとするそれに兵助は盛大な溜息を吐いてしまった。


時を同じくして出雲の三郎の実家には、学園の方から手紙が届いていた。
そして、その手紙は何故か経久の元へも流れて行っていた。
理由は本当に単純である。
経久が自分の忍びに探らせているから。
そしてその忍びは鉢屋の傘下、主君の命は絶対であるためその手紙はあっさりと三郎の父親の手から直接に彼の手へと渡ったのである。
「…ほう、三郎は随分面白いことになっておるなぁ」
くつくつと楽しげに、その端正な顔を歪めて経久は笑いを零した。
「数えで、確か6つという話。可愛い盛りであろう」
「…甘ったれと言った方が正しいかと」
正面に座る三郎の父親は、可愛いと言われた言葉を訂正する。
あの頃の息子は良く泣いて、その度に自分が叱っていた。
この位で泣くなと言われれば、何とか涙を堪えようとしゃくり上げていたものだ。
「良いではないか。子供とは甘えるものだ。…儂もそんなあやつを見てみたいもの、だが」
そう言ってちらと三郎の父を経久は見つめた。
どういうつもりで言っているか解るだろう、と言いたげな視線に彼も小さく溜息を吐く。
「影武者…勤めさせて頂きますが、何卒、お早いお帰りを」
「…解っておる。ちょっと見て、遊んで帰ってくるだけだ」
誰で遊ぶつもりなのか、と父親は眉根を寄せるが経久は何処吹く風だ。
「…殿、三郎に伝言を頼んでも宜しいでしょうか?」
「あぁ、それくらいなら構わぬ。申せ」
「…甘えることなく精進するようにと。それと、鉢屋の掟、忘れることがないようにと、お伝え下さい」
「……相変わらずだのう、お前も」
「厳しくするは、我が家の方針ですので」
其の言葉に、あからさまな溜息を吐けば経久は「まぁ、良い」と言う言葉を向けて、立ちあがる。
「…影武者頼んだぞ。雑務は、側近達に任せれば良い」
「御意」
そう言って頭を下げる父親を尻目に経久は旅の支度をしにその場を離れる。
「親子揃って、素直ではないとは…」
アレが、後20若ければのう、と何故か残念そうにしていたのを父親は知らない。


その次の日の朝、久々知兵助の最大の敵(一方的な)が出雲から忍術学園へ向けて、出発したのだった。