穴掘り小僧

風呂から上がって、先輩達と別れてから三郎は雷蔵の部屋へと帰っていった。
別れ際に「またね、留兄ちゃん、伊作」と手を振っているのを見て、留三郎のいう子供は序列を着けるというのを理解してしまった。
(そうか、食満先輩は…上に見てるのか)
と、兵助はぼんやりと自分が三郎にとってどの位置にいるのか若干不安になりつつあった。

次の日、起きてもやっぱり三郎は小さいままだった。
朝早くに、誰よりも早く起きて雷蔵を起こし、朝ご飯を食べに行ったらしい。
普段からこんなに早く起きるのかと聞くと、三郎はこっくりと頷いて「父上と修行をするから」と返事をした。
本当は寝起きが誰より悪いのに、無理矢理起こされていたのだろう。
実際、14歳の三郎は目を覚まして、体を起こしてからもぼーっとしたまま布団に座っていることもあるらしい。
時にはそのまま二度寝なんて事も頻繁だ(だが、夜間訓練の時はしっかり起きてくるのだ)。
「その辺は減り張りらしいけどね」
と、雷蔵が小さく笑いつつ話していたなぁと思う。
朝ご飯を食べ終わってから、ろ組は座学だったらしく三郎もそれに着いていったらしい。
雷蔵と竹谷が居るからと、兵助も多少なりとも安心していた。
だが、昼休み泣きはらした目で三郎がい組まで、雷蔵に手を引かれてやってきたのは流石に驚いてしまった。
曰く「知らない人に囲まれて、群がられて、怖くて、泣いた」らしい。
それでも、ここまで我慢したのだから偉い方だと思う。
しかもこの日、都合の良いことにい組は午後からの授業はない。
それを知っていて雷蔵も三郎をここに預けに来たのだった。

秋の柔らかい光が溢れる中庭では三郎が地面に絵を描いて遊んでいる。
兵助はそれを遠目に見ていた。
地面に描かれる絵はどうやら自分達の似顔絵らしい。
大きめに書かれた雷蔵と竹谷、その隣に兵助らしき似顔絵、心なしか「とうふ」という文字が見えなくもない。
「らいぞー、はち、とうふ…って書き方は酷いよ、三郎」
こんな所で、14歳の彼を彷彿とさせられるとは思ってなかった。
ふわふわした、鬘と言えど柔らかそうな髪が地面の辺りをゆっくり移動する。
それを見ながら、兵助の瞼がうつらうつらと下がり始めていた。
小春日の柔らかい太陽が自分に降り注ぐ。
子供が絵を描くような、そんな長閑な庭に彼は居た。
(あ、ヤバイ…)
寝るかも、と想いながら彼の体は傍に有った柱に凭れた。
(三郎を見てないと…ダメなんだけどなぁ…)
でも、眠気がと彼の瞼は睡魔と戦いを始める。
しかし…昨日一日の疲れやら、三郎に懐かれ始めた安堵やらでその勝負はあっさりと睡魔に白星を与えてしまったのだった。
その間も三郎は絵を描きながら庭を移動する。
「えっと、留兄ちゃん、いーさぁくー」
と、書き上がったそれらを見直してにっこりと微笑んだ。
昨日からここに自分は居るが、覚えている限りでは、生まれて初めてかも知れないくらいに人から優しくして貰っていた。
雷蔵も竹谷も何時帰ってくるだろう、もし帰ってきたらこの絵を見て貰おうと思っていた。
兵助は、全部書き終わって一番に見せて上げても良いかも知れない。
何だかんだと今一緒に居てくれるのだから。
全部書けたところで、三郎は兵助を呼ぼうと立ちあがった。
膝に付いた土はちゃんと払わなければ行けないと、父上が言っていたとちゃんと手で膝を叩く。
くるりと勢いよく踵を返した瞬間、三郎の足下の土が一気に崩れた。
「!!!」
声に成らない叫び声を上げて、三郎の視界は一瞬で真っ暗になった。
落とし穴にしっかりと嵌ってしまった三郎は思わず目に涙を溜める。
痛いと言うのも有るが、急に暗闇に落とされて怖くないわけがなかった。
「…ぅう、へぇすけぇ」
と、思わずここで一番頼るべき相手の名前を呟きながら、体を起こした。
と、同時に頭の上に影が出来る。
もしかして来てくれたのか、期待を込めながら顔を上げて、彼は更に体を強ばらせた。
「おやまぁ。これはこれは、子供になったって噂の鉢屋三郎先輩じゃないですか」
「ひっ…!」
そんな声も上がるくらいにその声の主が彼には恐ろしく見えていた。
穴の下から見上げた、犯人の顔は逆光で影が出来ている。
おまけにその人は大きな、白目がちの目をしっかりと見開いて自分の方を覗き込んでいたのだ。
助けてくれる気など微塵も感じられないその気配に、三郎は体を竦めた。
「前まではどんなに落とそうとしても落ちてくれなかったのに。こんな形でも落ちてくれて、嬉しいです」
そう言って、犯人−綾部喜八郎はにたぁと更に質の悪い満面の笑みを浮かべたのだ。
「ぅ、ぅわああああああああん、へぇすけえええええ」
その笑顔が引き金だった。
盛大な声と涙で、三郎は泣き叫んでしまったのだった。

「んぁ、三郎?」
その声は穴の中からと言えど、はっきり兵助の耳に届いたらしい。
口を半分開けて、だらしないというか、油断しきった様相で船を漕いでいた兵助が目を開く。
呼ばれた気がしたけど、と彼が三郎の姿を探すがどこにもあの茶色の髪の毛は見あたらない。
その事実は彼をはっきりと覚醒させるには十分だった。
はっ、と息をしながら立ちあがって更に周りを見渡せば、何かを覗き込んでいる喜八郎の姿を視界に留めた。
「ま、まさか……」
兵助の背中に冷たい汗が伝う。
三郎は、奴の蛸壺の中に、落ちて…。
そう思うと同時に兵助の足は件の後輩の方へと向いていた。
「綾部ええええええ、この辺りに蛸壺掘るなって何回言われれば解るんだよ、お前は!」
思わずそんな声を掛けながら駆け寄ると喜八郎は「あ、豆腐先輩こんにちは」と暢気に挨拶を向けてくる。
「私の名前は久々知だ、豆腐じゃない」
「でも、そこに似顔絵にもとうふと書いてありましたよ?」
「あ、あれは三郎が…って、そうじゃなくて」
三郎!と名前を呼びながら、蛸壺の中を覗き込むと大泣きしながら「へぇすけぇええ」と自分の名前を呼ぶ子供が居る。
(助けを求められた!)
と、昨日からもう幾度目かの春を迎えながら彼は「ほら、こっち」と手を伸ばす。
それに掴まらせて、何とか引き上げれば、そのまま三郎は自分の腕の中に収まって、肩に顔を埋めながら、しゃくり上げていた。
「残念。鉢屋先輩に、私の蛸壺の素晴らしさを堪能して貰いたかったのに」
「こんな子供に何言ってるんだよ、お前は…」
三郎の背中を撫でながら、兵助は盛大に肩を落とした。
相変わらず、何を考えているのかさっぱりだった。
この後輩は自分の事を豆腐先輩と呼ぶ。
理由は単純明快だ。
彼と恋仲の斉藤タカ丸と兵助は委員会で仲が良いから。
本当にそれだけだった。
タカ丸に想いを寄せるようになってから、喜八郎は大分解りやすくなったと同室らしい滝夜叉丸も言っていたが。
(その被害を被るのは全部私なんだが…)
しかも自分には三郎が居て、浮気する気など無いし、タカ丸だって喜八郎にベタ惚れだというのに。
普段のタカ丸の接し方を見ていればそんなこと容易に解るのに、この男はそれでも兵助に嫉妬を向けることを辞めなかった。
「へぇすけぇ…怖かったぁ」
と、言いながら涙で濡れた顔を自分の装束にこすりつけてくる三郎を、抱きしめながら「もう、大丈夫だからな」と声を掛けてやる。
小さくこくりと頷いた辺りで、更にもう一つ気配がこの庭に現れたのを、喜八郎が悟った。
「喜八郎ー、蛸壺誰が落ちてたのー?」
そんな暢気な声を響かせて、件の斉藤タカ丸が姿を現した。
忍者らしくない、金色の髪が近づきながら「あ、兵助君だ」と手を振ってきた。
それに確かに喜八郎の米神が動くのが解る。
兵助は兵助でそれに気付いて引きつった笑みで「こんにちは、タカ丸さん」と挨拶を向けた。
「タカ丸さん、鉢屋先輩が落ちていました」
ほら、と言って喜八郎が兵助の腕の中の子供を指さした。
新しい人間の出現に顔を上げていた、三郎が喜八郎を見た瞬間に顔を伏せる。
(完全に恐怖の対象に成ってる…)
「鉢屋君?!小さくなったって、きり丸が言ってたよね」
そう言いながらタカ丸は楽しそうに兵助の腕の中にいる三郎を覗き込んできた。
柔らかい声と雰囲気を感じ取ったのか、漸く三郎が顔を上げた。
「えへへ、こんにちは、鉢屋君。俺、4年生の斉藤タカ丸って言います。宜しくね」
そう言って、にこりと笑ってタカ丸は三郎の頭を撫でた。
その手つきに多少、安堵したのか「こんにちは」と三郎も挨拶を返す。
「…あ、私は綾部喜八郎ですよ」
と、綾部が名乗った瞬間、びくっと体を竦ませてまた兵助の肩に顔を埋めてしまったのだった。
「あの人、怖い…」
そんな言葉が耳に入って、兵助は苦笑いを零すしかなかった。