嫉妬

寝てしまった三郎の添い寝役は今回、竹谷となった。
怒り心頭とばかりに、笑みを湛えている雷蔵を止めることが出来るわけもなく、彼は三郎の背中を優しく叩きながら溜息を吐いた。
「お前って、ホント愛されてるよなぁ…」
俺も好きだけど、と小さく笑いつつ幼い寝顔を見守った。
それと同時刻、雷蔵は兵助の部屋の前に居た。
閉ざされている障子の向こうには灯りもなく、ただ、湿っぽい感じの気配ばかりが零れていた。
多分兵助も兵助で泣いているのだろう、と雷蔵は溜息を吐きながら障子を勢いよく開けた。
「兵助?今、大丈夫?」
と、声を掛けるとわざわざ寝間着に着替えて、布団に入り込んで泣いているらしかった。
布団は微かに隙間を作って、ゆっくりと上下する。
それで兵助が頷いたのだと解って雷蔵は、蝋燭に明かりを灯した。
「兵助、布団から出てくれないかな?話が有るんだけど…」
「三郎の事だろう?」
沈鬱とした声で聞き返しながら、兵助は布団を肩に掛けたまま起きあがる。
(何だ、解ってるじゃないか)
と、雷蔵が少しだけ安堵したような色を浮かべるのに対して、兵助は案の定泣きそうなままだ。
「三郎が泣きながら帰ってきたんだよね。それで、どうしたのかと思ったんだけど…」
むしろこっちの方が重症かと顔を覗き込めば、死んだような目をしている。
「…三郎、泣いてたのか」
と、聞き返されて「まぁね」と返事をすれば「…また、泣かせた」と兵助は肩を落としている。
「だったら、僕がどうしてここに来たのかも、解るよね?」
「……仲直りしろって事だろう?」
「それもあるけど…。泣かせるなって、前に言ったのにって思って」
その言葉に、兵助がう、と小さく声を零すのが聞こえた。
出雲から帰って、数日後、たまたま二人になった時に言われた言葉を兵助は忘れたわけではなかった。
泣かせたらその時は…あの時の雷蔵の目が本気だったのも覚えている。
「三郎が子供になっているからって、その約束が反故になっているなんて事は無いからね」
「それはっ…」
そうだけど、と言おうとして雷蔵の顔に笑みが登るのが解る。
彼が怒っている時のこの笑みは、どうしても逆らえない何かが有る。
背景に般若でも背負っているんじゃないだろうかと、そんな威圧感まであるのだ。
「ちゃんと仲直りしないと、…どうなるか、解ってるよね?」
「ら、雷蔵…」
あ、その…と手を伸ばそうとしても、雷蔵はすいと立ちあがってしまって、それは空しく空を掻く。
「じゃあ、兵助。またね」
と、部屋を出て行く友人を横目に見ながら、兵助はかくんと項垂れてしまった。
「私の話を聞いてくれたって…」
そんな言葉が今の雷蔵に届くわけがないと分かっていても、呟かずにはいられなかった。

その日の夕飯も風呂も、見事に視線を合わせただけで三郎にそっぽを向かれてしまったために一緒にという事が出来なかった。
次の日の朝ご飯の時も、何時も好きだからといっておばちゃんが出してくれる、冷や奴も今では味気ない。
ちらりと三人の方を見れば、ぱちんと三郎と目が合った。
あ、と手を振ろうと箸を置こうとしたけれど、三郎は勢いよく顔を背けてしまう。
つん、と済ましたように機嫌の悪い顔で残りのご飯をかき込んでいる様子を見れば、兵助はかくりと肩を落とすしかなかった。
クラスが違うと言うのを今日ほど恨んだことはないと思う。
その後も結局接触することは出来なくて、夕方まで持ち込んでしまっていた。
この時間、普段なら三郎と遊んでるのに、と近くにない子供の声を思い出して溜息を吐いた。
「あれ?兵助君、何やってるの?」
急に聞こえてきたタカ丸の声に兵助は顔を上げた。
「タカ丸さん」
「今日は鉢屋君は一緒じゃないんだね」
ふふ、と小さく笑いを零しながら彼は自分の隣に腰掛けた。
「まぁ、ちょっと…色々あって…」
と、誤魔化すように言葉を濁せば足下でずぼっという音が聞こえて二人はそちらをさっと見やった。
何時の間に居たのか、そこに穴が出来て灰色の髪の毛が除いている。
「こんにちは、豆腐先輩、それからタカ丸さん」
声の主は案の定、喜八郎だった。
土だらけになっているのを見れば、すぐにそこに何かを掘っていたのが解る。
縁の下辺りにでも掘っていたのだろうか。
彼はいつもの白目がちの目で、じぃっと二人を見上げている。
「…綾部、お前またそんな所に……」
「縁の下に掘った物に落ちるのなんて、ここに入り込む動物くらいなものですよ」
だから良いと言うわけではないだろうが、まぁ、良いかと兵助も溜息だけで終わらせる。
「タカ丸さん、豆腐先輩は鉢屋先輩と喧嘩をしたんですよ」
「喧嘩?」
「って、何でお前が知ってるんだ!」
あっさり自分と三郎の状況をばらされて、兵助は思わず声を上げてしまった。
それに満足そうに喜八郎はにやぁと笑みを浮かべた。
「そりゃぁ、昨日全部見てましたから。大嫌いって言われて、ふらふらしながら部屋に帰るところまでぜぇんぶ」
「何処で…」
「七松先輩が掘った塹壕の近くで」
「お前、落ちたのか?」
聞き返せば、いいえ、と首を横に振った。
「その近くで蛸壺を掘っていたんです。そしたら聞こえてきたので。大嫌いって」
「それを連呼しないでくれないか」
凹む、と続ければ隣でタカ丸があはは、と困ったような笑い声を零している。
「でも、鉢屋君がそんな風に怒るなんて珍しいね。すっごく仲良かったのに」
「……そりゃぁ、あれだけ構って貰えなければ拗ねるのも当然ですよ」
事情を知っている喜八郎は、全面的に三郎の味方らしい。
その事実に流石に兵助も項垂れてしまえば、タカ丸がぽんと肩に手を置いた。
「ちゃんと謝れば鉢屋君だって機嫌直してくれるよ、ね」
「だと、良いんだけど……」
はぁ、と溜息を吐いていれば、後ろでぱたぱたと小さな足音が聞こえて、兵助はさっとそちらへと顔を向けた。
あ、と小さく声を上げればそこには案の定三郎がいる。
雷蔵も竹谷もいない、今ならと思って声を上げようとしたければ、三郎は喜八郎とタカ丸の方へと視線をやって直ぐにきびすを返してしまった。
一瞬、むっとしたように口が引き結ばれて、それから直ぐに雷蔵の部屋に入っていってしまった。
「え、ちょっと、三郎、待って!」
と、声を掛けてもぱしんと閉められてしまった障子が声を遮ってしまう。
それを見ながら、あぁ、と肩を落とした兵助と部屋に閉じこもってしまった三郎に、タカ丸と喜八郎は顔を見合わせた。
「喜八郎、あれってもしかして…」
「……もしかして、ですねぇ」
そう言って、二人は小さく笑いを零したけれど、兵助には全く聞こえていないようだった。

部屋に入って、障子を閉じてしまった三郎は不機嫌そうに、その場に座り込んだ。
朝から、ずっと兵助を無視し続けて、寂しくて仕方がなかった。
それに何度か兵助は自分に話しかけてくれようとしていたのだから、そろそろ許して上げようと思ったのに。
嫌いって言ったのは嘘だと言おうと思ったのに。
なのに、兵助はタカ丸と喜八郎と楽しそうに話をしている。 少なくとも三郎にはそう見えて、何だか謝るのが嫌になったのだ。
きゅうと胸の奥が痛くなる感じがして、三郎は抱えた膝に顔を埋める。
「へぇすけの、ばかぁ…」
そう呟いた声は彼の膝の中で、小さく消えてしまったけれど。
胸の奥にある痛みはまだ消えそうになかった。