喧嘩
きゃっきゃっという三郎の笑い声と、小平太の高笑いを聞きながら、兵助は取りあえず小平太に「止めてください!降ろしてください!」を繰り返していた。
余程小平太式の高い高いが気に入ったのか、三郎は楽しそうに笑いながら、もっとーなんて言っている。
だから、落ちたら怪我するってと兵助は青ざめた様子でそれを止めようとしているのに。
親の心子知らずという諺が兵助の頭の中に過ぎってしまう。
結局、三郎が地面に降ろされたのは、兵助が叫びすぎて咽せ始めてからだった。
流石に声以上怒鳴らせるのは気の毒だと思ったのか、小平太は兵助の直ぐ傍に三郎を降ろしてくれた。
それに「ありがとー、こへ兄ちゃん」とお礼を言って、三郎は兵助の袴を軽く引く。
「へぇすけ、さっきの高い高いね、」
と話そうとしたけれど、三郎を危ない目に合わせたといきり立っている兵助に聞こえるわけもなかった。
「七松先輩、ホント止めてください!三郎が怪我したらどうするんですか?!」
「でも、怪我してないし、鉢屋も喜んでいたが」
「もしもって話です!」
「へぇすけ、ねぇ、へぇすけってば」
ぐいぐいと何度袴を引っ張っても、兵助は小平太に苦情を言うので一生懸命だった。
とかく彼の頭の中は三郎の事でいっぱいである。
もし、怪我をしたら、それで頭なんて打って…とそこまで心配してしまう。
それを何とか小平太に伝えようとするが、どうにも暖簾に腕押しである。
それでも言わなければ気が済まないのだろう。
しかし、問題は三郎だった。
苦情なんてどうでもいい、何よりも自分が何を見たのか、如何に楽しかったかを兵助にも解って貰いたかったのだが…。
「へぇすけ、へぇすけ!」
何度も名前を呼んで、袴を引っ張っても兵助はこちらを見向きもしてくれない。
「だから!事が起こってからじゃあ遅いって言ってるんです!」
「……うー」
と、小さく三郎が唇を歪ませながら声を零した。
小平太はその不満そうな表情に気が付きながら、特に何か言うわけではなかった。
早めに気付けばいいのになぁ、と思いながら後輩を傍観することに決めたらしい。
飽きっぽい彼の性格から、そろそろ話を切り上げても良いかもと思うのだが、成り行きを見守るのも楽しいかもと悩み始めていたのだ。
「七松先輩!聞いてるんですか!」
「もう、良い!へぇすけの馬鹿!」
「へ?」
兵助の怒鳴り声を遮るように、三郎の声が響いた。
漸く、兵助が隣を見たときには、今にも泣き出しそうな顔で三郎が下を向いて、ぎゅぅと自分の袴を握っていた。
「さ、三郎?どうしたんだ?」
もしかして自分が怒鳴り続けていたから怯えてしまったのだろうか、と見当違いな心配をしてしまう。
大丈夫と言おうとして、伸ばした手はすぐに顔を上げた三郎に避けられてしまった。
「へぇすけ、さっきから私の話、ちっとも聞いてくれない!もう、良い!へぇすけなんか、大ッ嫌い!」
三郎は小さな身体を全部使って、思い切り兵助に向かってそう叫んだのだ。
「さ、三郎?!」
と、名前を呼ぶが、三郎はさっと踵を返して走り去ってしまった。
「ちょっ、待って、三郎!」
何がなんだか解らない、そんな様子で兵助は手を伸ばしたけれど、時既に遅し。
三郎は、既に長屋の中へ姿を消してしまっていた。
後には、空しく手を伸ばした兵助と、やっぱりなぁと言うように首を傾げる小平太だけが残されたのだった。
その頃、雷蔵と竹谷は課題を全部終わらせて、こっそり取っておいた食堂のおばちゃんお手製の饅頭で一息入れていた。
流石、とか何とか言いながら取りあえず三郎の分だけ残しておいてある(兵助の分は二人で山分けした)。
そんな中、外からぱたぱたという小さな、忙しない足音が聞こえてきて二人は障子の方を見やった。
この足音は三郎の物だと、遊んで帰ってきたのかと思っていたが、障子が開いた先に居た三郎の顔を見て、二人は目を見開いてしまった。
から、と勢いよく開けられた障子の向こうには、涙で顔を濡らしてしゃくり上げる三郎が居る。
「らいぞー、ハチぃ…」
ひくひく、と何度も喉のを鳴らしながら、雷蔵の膝へと真っ直ぐに走ってきて、うわぁああん、と泣き出してしまった。
「三郎?三郎?どうしたの?何かあったの?」
「何だ、三郎、転んだのか?」
と、二人が心配して声を掛けてくれるが、三郎は泣くばかりで上手く返事が出来ない。
「ぃ、すけがぁ…私、どぅしよう…」
「兵助?兵助と何かあったの?」
そう言って、雷蔵の米神がひく付いたのが竹谷の視界に入る。
ついでに持っていた湯飲みにぴしり、とひびが入っていた。
落ち着いて三郎、と背中を撫でて上げれば段々と感情も落ち着いてきたのか、はぁはぁ、と息が落ち着いてくる。
雷蔵の膝に座らせて、何度か深呼吸させて、手ぬぐいで涙を拭ってやれば、泣きはらした目を拭っていた。
「どうしたの?兵助と何があったの?」
と、もう一度聞いてやれば三郎はこくんと頷いた。
「私、兵助に、嫌いって…言っちゃった」
「そっか。どうして?兵助に何かされたの?」
そう尋ねると、三郎はぎゅと雷蔵の胸元に顔を埋めて、服を握って首を横に振る。
ぽんぽんと背中を撫でると、あのね、と言葉を零した。
「さっき、6年生のね、こへ兄ちゃんにね、高い高いしてもらって。それで、すっごく楽しかったの…。いっぱい高いところが見れたから」
「七松先輩に?」
それで?ともう一度尋ねると、うん、と三郎が頷いた。
「それで、へぇすけに、楽しかったって言おうと思ったの。でも、へぇすけ、こへ兄ちゃんと話してばっかりで、私の話聞いてくれなくて。それで、我慢できなくて、へぇすけの馬鹿って、嫌いって…」
言っちゃったの…と段々と小さくなっていく声と、また聞こえてきたすすり泣きに雷蔵の機嫌が圧倒的に悪くなったことに、竹谷がびくりと肩を揺らした。
何とか三郎には隠そうとしているのだが、恐らくまだ外にいて、嫌いと言われたショックで固まっているだろう、兵助に対する怒りがにじみ出ている。
あーあ…と竹谷はちょっと遠い目をしながら、雷蔵が三郎を慰めているのを見つめている。
よしよし、と背中を撫でると三郎がぎゅと今度は自分の胸を押さえていた。
「でも、嫌いっていったら、きゅぅて、ここが痛くなって。私、それで、びっくりして…泣いて……」
ごめんなさい、と小さく聞こえて雷蔵は「別に良いよ」と言って、宥めるように頭をなで始めた。
「でも、寂しかったよね、話聞いて貰えなくて。兵助の事ちゃんと叱っておくから」
「……うん」
そう言っている内に三郎の瞼がゆっくり下がっていく。
走ったり、泣いたりと体力を使ったせいも有るのだろう、後は、懐いている雷蔵に抱きしめて貰っているから。
安心の余り気が抜けて、眠気が襲ってきているらしかった。
雷蔵が目配せをすれば、竹谷は立ちあがって布団を敷く。
掛け布団まで全部出してしまえば、雷蔵の腕の中で寝息を立て始めた三郎を受け取って、それに寝かせた。
良くできた鬘をそっと撫でると、擽ったそうに微かに三郎が身じろいで、ふ、と柔らかい笑みを二人で零した。
「……にしても、兵助も災難だよな。どうせ七松先輩に危ないことするなとか言ってたんだろうけど」
「まぁその辺は容易に想像できるんだけどねぇ」
今度は三郎の頬に雷蔵の指が伸びてくる。
子供らしい、柔らかいそれをそっと撫でて、雷蔵は寂しそうに溜息を吐いた。
「でも、やっぱり三郎は三郎だよね…」
「ん?」
竹谷は不思議そうに雷蔵を見つめる。
怒りと言うより、今彼は寂しさなんかが上回っているのだろうか、先ほどよりは、不機嫌そうではないけれど。
「…うん、小さくなっても三郎はやっぱり兵助を好きになるんだなって」
「あぁ、そう言うこと…」
胸が痛いと、三郎が泣きながら言っていたのを思い出して、竹谷も苦笑を零した。
そうか、そういう事なんだよなぁ、と目の前の友人二人を見つめてしまう。
「まぁ、でも…」
「でも?」
「三郎を泣かせたのは万死に値するよね?」
ね?ハチ、と満面の笑みを向けられて竹谷は更に笑みを引きつらせるしかなかった。
心の中で、兵助、頑張れ、と呟きながら。
とうの兵助はと言うと、完全に飽きてしまった小平太と別れて、案の定自分の部屋で完全に鬱々としていた。
彼の頭の中には「大ッ嫌い」という三郎の声がエコー付きで、鳴り響いている。
「ダメだ、完全に嫌われた…。私…もう、生きていけない…」
そう言いながら、彼も布団に突っ伏した。
忍び装束ではなく、わざわざ寝間着に着替えて布団に入っている。
うぅ、と掛け布団を握りしめながら、兵助はこれからやってくる姑の襲来など全く予想だにせず、むせび泣いていた。
余程小平太式の高い高いが気に入ったのか、三郎は楽しそうに笑いながら、もっとーなんて言っている。
だから、落ちたら怪我するってと兵助は青ざめた様子でそれを止めようとしているのに。
親の心子知らずという諺が兵助の頭の中に過ぎってしまう。
結局、三郎が地面に降ろされたのは、兵助が叫びすぎて咽せ始めてからだった。
流石に声以上怒鳴らせるのは気の毒だと思ったのか、小平太は兵助の直ぐ傍に三郎を降ろしてくれた。
それに「ありがとー、こへ兄ちゃん」とお礼を言って、三郎は兵助の袴を軽く引く。
「へぇすけ、さっきの高い高いね、」
と話そうとしたけれど、三郎を危ない目に合わせたといきり立っている兵助に聞こえるわけもなかった。
「七松先輩、ホント止めてください!三郎が怪我したらどうするんですか?!」
「でも、怪我してないし、鉢屋も喜んでいたが」
「もしもって話です!」
「へぇすけ、ねぇ、へぇすけってば」
ぐいぐいと何度袴を引っ張っても、兵助は小平太に苦情を言うので一生懸命だった。
とかく彼の頭の中は三郎の事でいっぱいである。
もし、怪我をしたら、それで頭なんて打って…とそこまで心配してしまう。
それを何とか小平太に伝えようとするが、どうにも暖簾に腕押しである。
それでも言わなければ気が済まないのだろう。
しかし、問題は三郎だった。
苦情なんてどうでもいい、何よりも自分が何を見たのか、如何に楽しかったかを兵助にも解って貰いたかったのだが…。
「へぇすけ、へぇすけ!」
何度も名前を呼んで、袴を引っ張っても兵助はこちらを見向きもしてくれない。
「だから!事が起こってからじゃあ遅いって言ってるんです!」
「……うー」
と、小さく三郎が唇を歪ませながら声を零した。
小平太はその不満そうな表情に気が付きながら、特に何か言うわけではなかった。
早めに気付けばいいのになぁ、と思いながら後輩を傍観することに決めたらしい。
飽きっぽい彼の性格から、そろそろ話を切り上げても良いかもと思うのだが、成り行きを見守るのも楽しいかもと悩み始めていたのだ。
「七松先輩!聞いてるんですか!」
「もう、良い!へぇすけの馬鹿!」
「へ?」
兵助の怒鳴り声を遮るように、三郎の声が響いた。
漸く、兵助が隣を見たときには、今にも泣き出しそうな顔で三郎が下を向いて、ぎゅぅと自分の袴を握っていた。
「さ、三郎?どうしたんだ?」
もしかして自分が怒鳴り続けていたから怯えてしまったのだろうか、と見当違いな心配をしてしまう。
大丈夫と言おうとして、伸ばした手はすぐに顔を上げた三郎に避けられてしまった。
「へぇすけ、さっきから私の話、ちっとも聞いてくれない!もう、良い!へぇすけなんか、大ッ嫌い!」
三郎は小さな身体を全部使って、思い切り兵助に向かってそう叫んだのだ。
「さ、三郎?!」
と、名前を呼ぶが、三郎はさっと踵を返して走り去ってしまった。
「ちょっ、待って、三郎!」
何がなんだか解らない、そんな様子で兵助は手を伸ばしたけれど、時既に遅し。
三郎は、既に長屋の中へ姿を消してしまっていた。
後には、空しく手を伸ばした兵助と、やっぱりなぁと言うように首を傾げる小平太だけが残されたのだった。
その頃、雷蔵と竹谷は課題を全部終わらせて、こっそり取っておいた食堂のおばちゃんお手製の饅頭で一息入れていた。
流石、とか何とか言いながら取りあえず三郎の分だけ残しておいてある(兵助の分は二人で山分けした)。
そんな中、外からぱたぱたという小さな、忙しない足音が聞こえてきて二人は障子の方を見やった。
この足音は三郎の物だと、遊んで帰ってきたのかと思っていたが、障子が開いた先に居た三郎の顔を見て、二人は目を見開いてしまった。
から、と勢いよく開けられた障子の向こうには、涙で顔を濡らしてしゃくり上げる三郎が居る。
「らいぞー、ハチぃ…」
ひくひく、と何度も喉のを鳴らしながら、雷蔵の膝へと真っ直ぐに走ってきて、うわぁああん、と泣き出してしまった。
「三郎?三郎?どうしたの?何かあったの?」
「何だ、三郎、転んだのか?」
と、二人が心配して声を掛けてくれるが、三郎は泣くばかりで上手く返事が出来ない。
「ぃ、すけがぁ…私、どぅしよう…」
「兵助?兵助と何かあったの?」
そう言って、雷蔵の米神がひく付いたのが竹谷の視界に入る。
ついでに持っていた湯飲みにぴしり、とひびが入っていた。
落ち着いて三郎、と背中を撫でて上げれば段々と感情も落ち着いてきたのか、はぁはぁ、と息が落ち着いてくる。
雷蔵の膝に座らせて、何度か深呼吸させて、手ぬぐいで涙を拭ってやれば、泣きはらした目を拭っていた。
「どうしたの?兵助と何があったの?」
と、もう一度聞いてやれば三郎はこくんと頷いた。
「私、兵助に、嫌いって…言っちゃった」
「そっか。どうして?兵助に何かされたの?」
そう尋ねると、三郎はぎゅと雷蔵の胸元に顔を埋めて、服を握って首を横に振る。
ぽんぽんと背中を撫でると、あのね、と言葉を零した。
「さっき、6年生のね、こへ兄ちゃんにね、高い高いしてもらって。それで、すっごく楽しかったの…。いっぱい高いところが見れたから」
「七松先輩に?」
それで?ともう一度尋ねると、うん、と三郎が頷いた。
「それで、へぇすけに、楽しかったって言おうと思ったの。でも、へぇすけ、こへ兄ちゃんと話してばっかりで、私の話聞いてくれなくて。それで、我慢できなくて、へぇすけの馬鹿って、嫌いって…」
言っちゃったの…と段々と小さくなっていく声と、また聞こえてきたすすり泣きに雷蔵の機嫌が圧倒的に悪くなったことに、竹谷がびくりと肩を揺らした。
何とか三郎には隠そうとしているのだが、恐らくまだ外にいて、嫌いと言われたショックで固まっているだろう、兵助に対する怒りがにじみ出ている。
あーあ…と竹谷はちょっと遠い目をしながら、雷蔵が三郎を慰めているのを見つめている。
よしよし、と背中を撫でると三郎がぎゅと今度は自分の胸を押さえていた。
「でも、嫌いっていったら、きゅぅて、ここが痛くなって。私、それで、びっくりして…泣いて……」
ごめんなさい、と小さく聞こえて雷蔵は「別に良いよ」と言って、宥めるように頭をなで始めた。
「でも、寂しかったよね、話聞いて貰えなくて。兵助の事ちゃんと叱っておくから」
「……うん」
そう言っている内に三郎の瞼がゆっくり下がっていく。
走ったり、泣いたりと体力を使ったせいも有るのだろう、後は、懐いている雷蔵に抱きしめて貰っているから。
安心の余り気が抜けて、眠気が襲ってきているらしかった。
雷蔵が目配せをすれば、竹谷は立ちあがって布団を敷く。
掛け布団まで全部出してしまえば、雷蔵の腕の中で寝息を立て始めた三郎を受け取って、それに寝かせた。
良くできた鬘をそっと撫でると、擽ったそうに微かに三郎が身じろいで、ふ、と柔らかい笑みを二人で零した。
「……にしても、兵助も災難だよな。どうせ七松先輩に危ないことするなとか言ってたんだろうけど」
「まぁその辺は容易に想像できるんだけどねぇ」
今度は三郎の頬に雷蔵の指が伸びてくる。
子供らしい、柔らかいそれをそっと撫でて、雷蔵は寂しそうに溜息を吐いた。
「でも、やっぱり三郎は三郎だよね…」
「ん?」
竹谷は不思議そうに雷蔵を見つめる。
怒りと言うより、今彼は寂しさなんかが上回っているのだろうか、先ほどよりは、不機嫌そうではないけれど。
「…うん、小さくなっても三郎はやっぱり兵助を好きになるんだなって」
「あぁ、そう言うこと…」
胸が痛いと、三郎が泣きながら言っていたのを思い出して、竹谷も苦笑を零した。
そうか、そういう事なんだよなぁ、と目の前の友人二人を見つめてしまう。
「まぁ、でも…」
「でも?」
「三郎を泣かせたのは万死に値するよね?」
ね?ハチ、と満面の笑みを向けられて竹谷は更に笑みを引きつらせるしかなかった。
心の中で、兵助、頑張れ、と呟きながら。
とうの兵助はと言うと、完全に飽きてしまった小平太と別れて、案の定自分の部屋で完全に鬱々としていた。
彼の頭の中には「大ッ嫌い」という三郎の声がエコー付きで、鳴り響いている。
「ダメだ、完全に嫌われた…。私…もう、生きていけない…」
そう言いながら、彼も布団に突っ伏した。
忍び装束ではなく、わざわざ寝間着に着替えて布団に入っている。
うぅ、と掛け布団を握りしめながら、兵助はこれからやってくる姑の襲来など全く予想だにせず、むせび泣いていた。