会計委員会

長次について歩いて三郎がたどり着いたのは、会計委員の委員会室だった。
図書室には念のため、文次郎に返却を迫りに行ってくるという書き置きを残している。
後で留三郎がそこまで迎えにくるかも知れないと、長次は思ったが、まぁ、良いだろうと思い直しての事だった。
会計委員と書かれた表札の向こうでは心なしか「ギンギーン」という言葉が聞こえる。
長次の方を見上げると、未返却の本の貸し出しカードを手にして、少々苛っとしたように眉根を寄せていた。
怒ってるのだろうか、と心配そうに三郎が見上げても長次は構わず部屋の障子を開けた。
「文次郎、邪魔する」
と小さく言えば、声の主らしい、どうみても長次と同い年とは思えない少年(?)が顔を上げた。
目の下にくっきりと浮き出るほどの隈を持った彼はどうやら後輩達へ説教をしている最中だったらしい。
三郎は思わず目を見張ってしまった。
自分よりも大きい人達が正座をして、彼の前にしょぼんと項垂れている。
その一番前でがみがみと怒鳴る人の言い分は「たるんでる」とか「鍛錬が足りない」とかそればかりに聞こえたのだった。
ふと、縮こまってる1年生を見やれば、どうにも片方は時々遊んで貰っている1年は組の生徒らしかった。
長次の足の所から顔を覗かせて、今度は長次を見上げた。
「文次郎……」
もう一度声を掛けると、文次郎は「何だ?」と漸く顔を上げたのだった。
低く、ちょっと怒ったような文次郎の声に、三郎はきゅと長次の袴を握る。
大丈夫と言うように、長次がすと三郎の頭に手を置いた。
「……本を返せ」
短く言うと文次郎は、あぁ、と小さく言葉を零した。
「すまない、今、こいつらの根性をたたき直している所なんだ。また後日返しに…」
「今、返せ」
しぃん、とまた一瞬の沈黙が落ちて、文次郎以外の会計委員が息を飲むのが解った。
「…いや、だから今は」
「今、返せと言っている」
ぴしゃりと言い切られた文次郎は流石に押し黙ってしまう。
滅多に喋らないこの友人がここまではっきり言うのは、多分相当怒っているからなのだろう。
前に借りて、それを読み終わってないけど必要だと言って、また借りて…。
それを繰り返して、既に3ヶ月経っていた。
忘れていたわけではないのだが、いざ返そうと言う時に部屋に置いてきたりと色々重なっていたのだが。
説明しても聞いてくれそうに無いほど、相手は怒っているように見えた。
しかし、こちらも委員会の真っ最中、どうしても帳簿を合わせられない後輩達に苛立っているのだ。
自分の次ぎに算術が得意な三木ヱ門はまだ帰ってこない。
「後でまた図書室に行く」
「それは何度も聞いた」
好い加減にしろ、と言うのが暗に伝わってきてさてどうするかと文次郎も頭を捻ってしまった。
その様子を見ながら三郎はひょっこりと頭を覗かせていた。
何だろう、さっきから聞いていれば言い訳ばかりで、どうにもムシが好かない、そんな感じがした。
目の前のおっさんの様な人(と、三郎は思っている)はさっきからぐだぐだとご託ばかりを並べている。
しかも、先ほどまでは自分と仲良くしてくれている人を叱っていたのだ。
むっとしたように、三郎は眉根を寄せた。
「だから!」「返せ」という攻防が続く中(文次郎もとうとう立ちあがっていた)、三郎はすと長次の足から完全に体を覗かせた。
ん?と文次郎もそれには流石に気付いたらしい。
あぁ、これが件のとその子供見つめていたが、ぴっとその子は自分を指さした。
「借りた物はちゃんと返さないとダメなんだよ。父上も母上もそう言ってたのに。だらしないっていうんだよ、そう言うの」
びしりと空気が固まる音がした気がした。
(((あーあ……)))
と、周りで見ていた団蔵、左吉、左門の心は一つだ、言っちゃった、と、そんな空気が出ている。
「だから、早く長次兄ちゃんに本返してよ」
そう言って、きっ、と睨んでくる子供に文次郎はぐっとたじろいだ。
たとえ、相手があの鉢屋だと解っていても、どうにも子供に視線というのは突き刺さる、勿論言葉もだった。
ずばり、自分でもちょっと思っていたことを言われてしまって反論する事が出来ない。
じり、とむしろさっきよりも険悪な雰囲気の中、ばたばたと足音が響く。
態と殺してないんだろうなぁ、とそれが誰か解った長次はちらと廊下へと視線をやった。
「鉢屋!迎えに来たぞ、寂しい想いをさせて悪かったな!」
ぱぁああ、とむしろアンタが寂しかったんじゃと思うくらいの満面の笑みを湛えた留三郎がそこに立っていた。
「留兄ちゃん!」
ぱっと、子供の方も嬉しそうにそれに振り返って、抱き上げられる腕に収まっていく。
「ダメだろう?幾ら、長次と一緒に居ろって言ったからって。取り立てなんて、怖いのに」
「怖くないよ。長次兄ちゃんと一緒だったもん」
ね、と長次の方に言葉を向けると、そうかそうか、と頷いた。
「まぁ借りた物も返せないような奴だしな。ちゃんと取りに行ってやらないとダメなんだろう」
「おい、お前はこの件には関係ないだろう、口出しするな」
「あ?ホントの事だろうが。子供に図星さされて、固まってたくせに」
「不意をつかれたからだ。大体、お前はそうやって直ぐに後輩やらに甘い顔をする。だから用具委員会はへたれの集まりなんだ」
ぎろ、と只でさえ目つきの悪い留三郎の視線が更に険しくなる。 腕の中にいる三郎も何となくそれを察したらしい。
仲が悪いのかとぼんやりと思っていた。
ぎゃぁぎゃあと激化していく口喧嘩を聞きながら長次の方へと視線を向ければ、彼はいつもの事と言うように溜息を吐いていた。
「やるかぁ!」
「上等だぁ!」
と、自分を腕に乗せていることも半分忘れているのだろう、留三郎は片手をさっと構える。
それを合図とばかりに、文次郎が拳を繰り出す。
それを構えていた手で受け止める音が響いて、さっと三郎が顔を上げた。
ぎりり、とそれを握りしめるように力を込めて、にらみ合う。
その様子を見ながら、三郎がきっと文次郎を睨み付けて、ぐっと唇を噛んだ。
「留兄ちゃんを苛めないでよ、この……おっさん!」
しぃん、とまた沈黙が降りた。
張りつめていた様な空気が一気に落ち込んでいくのが解る。
「…ぷっ」
と、後ろで長次が吹き出すのが余計にそれに拍車を掛けた。
「お、おっさ……」
あの長次が珍しく口元を押さえながら笑っている。
ぱたりと、文次郎の腕が下がるのが解って、留三郎も手を下ろす。
流石に、可哀相だと文次郎を見ると明らかに、しかも先ほどよりもずっと狼狽していた。
「…そ、そろそろ5年生も4年生も帰ってくる頃だろう。戻ろうか、鉢屋」
と、言うと三郎は「ホント?!」と嬉しそうにして頷いた。
じゃあ、と留三郎はさっさとその場を逃げようと、きびすを返した。
長次とすれ違い様に三郎は「また遊んでね」と言って、留三郎の腕に抱かれたまま去っていく。
それに、ん、と長次は頷いて今度は完全に落ち込んでしまった文次郎に「明日また来る」とだけ告げて図書室の方へと戻っていった。
完全に沈鬱なムードに包まれた委員会室の中で、文次郎の「解散……」という声だけが空しく響いていた。

五年長屋に戻されて、夜、雷蔵の布団で一緒に寝ながら三郎はあのね、と雷蔵に話しかけた。
「今日ね、変なおじさんに会ったよ」
「変なおじさん?」
そんな人この学園に居たかな?と首を傾げた。
先生達の事は教えてあるから、おじさんと言うことはないはずだけど、と腕枕をしている子供を見るとうん、と大きく頷いた。
「何かね、ぎんぎーんって言っててね。本を返さなかったから、返してって言ったの。それからね、留兄ちゃんを苛めてたから、止めてって言ってやったんだよ」
偉い?と笑みを浮かべる子供に雷蔵は目を丸くした。
この学園でぎんぎーんとか言って、留三郎とそんな関係に有るのはただ一人、会計委員長の潮江文次郎だけだと言うのに。
その人をおじさんと称し、本を返せと迫ったというのだ。
(将来があれになったのがちょっと解ったかも…)
と、14歳の親友の姿を思い浮かべた。
肝が据わっているというか、変な度胸があるというか。
(むしろ潮江先輩と相性が悪いのはこの頃からなのか…)
そんな風に実感してしまう。
「雷蔵?」
首を傾げて不思議そうにする子供の頭をそっと撫でながら「そっか、凄いね、三郎は」と言うと、嬉しそうに頬を染めた。
やっぱり可愛いなぁ、とぎゅっとついでに抱きしめると、くすくすと楽しげな笑い声を立てた。
「じゃあ、そろそろ寝ようか。明日もいっぱい遊ぶんでしょう?」
「うん、お殿様がね、一緒に町に行こうって言ってたの。兵助も誘おうねって」
何で…。と、ちょっと思ったが、今は実習の疲れの方が勝ちそうで、結局雷蔵は「そっかぁ」と言って笑みを浮かべるだけだった。
どうせ何か企んでいるのだろう、とあの不敵な笑みの男を思い浮かべつつ、そっと三郎の背中に手をやった。
「じゃあ、お休み、三郎」
「うん、お休みなさい」
と、言葉を交わして二人は瞼を閉じた。
遠くで、ちょっと元気の無いぎんぎーんという声が聞こえたのはきっと気のせいだと雷蔵は自分に言い聞かせた。