結婚前夜と言うのは特別だと、雑誌で読んだけれど別に変りやしないと三郎は思っていた。
時計を見れば、既に12時を回りかけていて、三郎は自分の部屋に一人でいた。
実家に戻るかと言われたけれど、それも何だか仰々しくて嫌で、一人で家に残ることにしたのだ。
夫たちはみな、その最後の夜を実家で過ごしている。
自分の家族は別に嫁に行っても、家族には変わりはない。
今生の別れではないのだし、好きにしなさいと言ってくれるほどおおらかだった。
さてどうしたものか、と三郎はソファから体を起こした。
一人で家にいて感傷に浸るような趣味も持っていないが、だからと言ってこういう特別な行事を無視できるほど無神経な性格でもない。
何となく落ち着かずに酒でもと思ったが、どうにも酌が進まなかった。
グラスに注いだバーボンも半分も減っていない。
「…落ち着かないな」
そう小さくつぶやいて、三郎はこてんとソファに寝そべった。
やはり誰かに残ってもらえばよかったのだろうか。
雷蔵当たりならば、彼の両親も納得して家に帰ってこいなどと言わなかったのだろうけれど。
それでも、帰って来いと言ったのは自分なわけだから、今さら呼び戻すのも気が引けた。
テレビもつける気になれなければ、暗いそれに視線を向けるだけになってしまう。
ただの四角い画面だけをぼんやりと見つめてしまっていた。
そんな時だった、ピンポーンというインターフォンが部屋に鳴り響く。
その音に、三郎はゆっくりと顔を扉へと向けた。
こんな時間に尋ねてくるなんて殆ど思いつかない。
誰か、そんな非常識な知り合いなどいただろうかと、それでも彼はゆっくりと体を起こした。
インターフォンをとれば、外が見えるようになっている。
ボタンを押してモニターに映る姿に三郎は思わずぽかんとしてしまった。
「食満先輩に…タカ丸さん?」
何で?と呟けば、それも聞こえていたのか二人はにぃとカメラに向かって笑ってきた。
「どうしたんですか?こんな時間に…」
インターフォン越しにそう尋ねると、二人は手に持っていた袋をカメラに近づけてきた。
「これ。酒買ってきた。お前、こっちに残ってるんだろ?せっかくだからさ、飲もうと思って」
「…ほら、独身最後の夜、だもん。特別でしょう?」
そう言われて、三郎は小さく息を吐く。
確かに特別だ、だからどうと今まで意識していないつもりだったけれど。
こう、二人に言われてしまうと意識していたと認めざるを得なかった。
「解りました、開けます」
と、返事をして三郎はインターフォンを切り、扉を開けた。
「よ」
「こんばんは、鉢屋君」
改めて挨拶をしながら二人は、部屋の中に入ってくる。
微かに自分から感じたらしい酒気に食満はははと小さく笑った。
「お前、飲んでたの?」
「まぁ、一応…なんか、寝る気になれなくて」
取り合えず上がってください、と続ければ二人はそのまま奥のリビングまで進んだ。
ソファではなく、カーペットの上に座れば袋の中に入っていた大量の缶チューハイとビールを出している。
「どんだけ飲む気で買ってきたんですか…明日、式なのに」
確かに自分はザルでよほどでなければ酔わないのだが。
それにしても多すぎると思う。
「あぁ、大丈夫、これは俺が飲むからさ。それに余れば持って帰るよ」
「そうそう。それに俺もさ、喜八郎が飲むし…」
そう言って笑うタカ丸に三郎もまぁ良いかとカーペットの上に座る。
「…独身最後の夜に一人で晩酌とか寂しいもんな」
「旦那さん達みんな実家にいるもんね」
「二人の時は、どうだったんですか?」
気になっていた、というか、ふと気になった事を口にするとやっぱりと言うように食満が笑った。
「俺ん時は伊作と二人だったな。実家にはその前の日に挨拶に帰ってたから。…まぁ、籍入れに行っただけだったけど。…伊作が急に泣き出したりして、俺よりもアイツの方が緊張してたかなぁ」
「なんか、伊作君らしいよねぇ。…俺は、実は最初の頃伊作君の方が奥さんだと思ってたから。留三郎君が家庭に入ってるって聞いてびっくりしたもん」
「あ、でもそれは私も思ってましたよ。…善法寺先輩の方だって雷蔵から聞いた時、笑っちゃいましたもん」
「お前らの中で、俺たちがどう思われてんのか良くわかったよ…」
はは、と力なく笑いつつ食満は缶のプルタブを開ける。
プシュと軽い音がして、中から炭酸が零れた。
「んで、斉藤のところはどうなの?」
そう食満が聞けば、タカ丸もチューハイに口をつけながら、口を開く。
「えっとね…うちは、両方とも実家に帰ったよ。喜八郎は一緒にいたいって言ってたんだけど…。うちの父さんが、今日まではタカ丸はうちの子だからって言ってね。喜八郎が折れてくれたんだ」
「じゃあ、綾部も実家に帰ったの?」
「一応ね。でも、普通にご飯食べて、寝て次の日式だった」
喜八郎らしいでしょう?と続けられて二人は笑いをこぼした。
不思議だと思う。
確かに二人とは大学からの付き合いで、就職先も近くで、挙句引っ越した先も隣同士なんて…、神様の悪戯みたいなものだと、その程度だと考えていたが。
こうして、最後の夜を過ごすなど考えてもなかったと。
三郎は、少しだけ泣きそうになる。
嬉しいというよりは、不思議という感覚がしっくりくる感情だと思う。
それを察知したのか、ぽんと食満の手が三郎の頭の上に置かれる。
まるで子供を宥めるような仕草に、三郎は微かに頬が熱くなるのが解る。
「何が変わるわけでもないって解ってるけど、なんか複雑なんだよな」
「そう、不思議、なんだよね。この夜は…」
一度は経験した、でも何かが無い限り決して経験することのない夜。
二人がいてくれてよかったと、三郎は柄にもなく口にしそうになるのだった。