なしの礫のボムメール


会社の上司にプロポーズされ、それがきっかけで結婚した。
この事実は変わりようがない。
メールが来たのは有給休暇を取って呑気にベッドでまどろんでいた時間だった。
ベッドの隣のデスクでは兵助が原稿を書いている真っ最中だ。
最近は歴史小説にも手を出してみないかと編集に言われたらしく大量の資料を片手にキーボードを叩いている。
寝ぼけた頭でついさっきに来たメールを見れば、宛名が件の上司となっていた。
『結婚おめでとう。もし、夫に飽きたら私のところに来ればいい』
その文面を見て、三郎はかくんと勢いよく項垂れた。
自分の上司が自信家なのは知っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。
結婚式を控えた部下にこんなメールを送ってくるかと、最早内容よりもその大胆さにあきれてしまった。
ぼふとふかふかの枕に携帯を落とした音に気がついたのか、兵助が座っていた椅子が回転する。
「三郎、起きたのか?」
そう尋ねられて、まぁと返事をする。
メールの件に関しては話すかどうか悩んでしまった。
プロポーズをされた時、結婚を言い出したのは彼らだけれどどういう訳か兵助はこの立花という男をとかく苦手にしているらしかった。
本人が苦手と言うだけで、嫌いなんじゃないかなぁと時折思ってしまう。
だからというのもあるが、出来るだけ立花の話は兵助の前ではしないようにしていた。
嫉妬深いというわけではないが、彼が自分に近づくのを兵助は快く思っていないらしかった。
「…仕事は良いのか?」
何とかこちらから意識を離そうと話を振れば兵助はんと一つ頷きを返してくる。
「もう一段落したし、集中力も切れたんだが…」
それでこちらを振り返ったらしかった。
「珈琲でも淹れてくればいいじゃないか」
「…そんな気分でもない」
そう返されてしまえば、携帯をいじる隙などできるわけがなかった。
メールは気付かなかったとでも良い訳をしようと心に決めた。
だが、そんな三郎の事など立花がわかるわけもなく、また携帯が震えて枕を揺らした。
「…三郎、携帯鳴ってるよ」
良いの?と言われればとりあえず宛名だけを確認する。
案の定、立花仙蔵と書かれているそれに三郎は盛大に溜息をついてしまった。
(空気読んでよ…)
と、言いたくなるタイミングだが、立花はここにいないため言うことも責めることも出来ない。
恨んでもそれは逆恨みにしかならないのだ。
一旦開封して、中身を見れば『勿論、今からだって構わんぞ』と書かれている。
(…嫌がらせだ!)
あぁ、もう!と止めてくださいと返事を書こうとしていれば、自分の肩口に兵助の顔があるのにようやく気づいた。
ゆらりと携帯の画面に映った夫の顔に三郎は、思わず飛びのいてベッドから落ちてしまった。
それと同時に放り出された携帯は、ベッドの上に落ちていた。
勿論、先ほどの立花からのメールを開いた状態で、だ。
「へ、へへへ、兵助!隣に来るのに、気配を消すなって!」
何度も!と続けても、兵助は三郎を無視して携帯を拾い上げていた。
「お前っ、幾らなんでも人の物を…勝手に…」
と、注意しようとしても兵助の手が止まるわけはなかった。
拾い上げた携帯を見て、嫌そうに眉根を寄せれば勝手にそれを弄っているらしい、ボタンを押す音が響く。
え、え?と呆気にとられていれば兵助は「暗証番号は?」と尋ねてきた。
思わず「誕生日四桁…」と返事をすれば更に何かしているらしかった。
床に座り込んでその様子を見ていれば、兵助はこれでよしと言いながらベッドを下りて仕事用のデスクに向き直ってまた、キーボードをたたき始めた。
「一体、何やって…」
そう言いながら三郎が設定を見てみれば、迷惑メールのところに立花の名前があって、真っ青になった。
「…迷惑メール設定にしたのか?」
「仕事が始ってから解除すればいいだろ?」
そう言われれば、まぁそうだけど…としか返せなかった。
きっとこの受話器の先では立花が不思議そうな顔をしているのだろうと三郎は想像して肩を落とした。
(休み明けに解除するのが恐ろしいんだけど…)
そう言って仕事を始めた夫の背中をちらと見つめた。

一方、仙蔵はと言えば、先ほど送ったメールも帰ってくるし電話もつながらないと言うのに、笑いをこぼしていた。
「流石にやりすぎたか…」
そう、呟いてぱたりと携帯を彼の部屋の定位置へと置いた。
だが、それくらいしてしまう位に本気だったのだ。
それさえ、彼らの中の誰か一人でもわかればいいかと仙蔵は近くに置いていたワインを一口口へ運ぶのだった。