無断外泊の罠


三郎は重たい瞼を開けた。
まだ体に残るけだるさと、ずきずきとする頭の痛さ、そして見慣れぬ天井。自分の状況を判断できずに、彼はぐぅとうなりつつ、額を抑えた。
昨日の夜、自分は一体どうしたのだろうと痛む頭で振り返る。そうだ、確か、昨日の夜は会社での飲み会に参加したのだ。そして、しこたま飲まされて、みんなと別れて…そこで記憶が途切れていた。元来、ザルと言われるほど酒に強い三郎がこのレベルまで酔うと言う事は相当飲んだと言うことで。一体、どうしてそうなったのか、回想してみても浮かぶのは大学からの腐れ縁で先輩となっている男の凶悪かつ端正な笑みだった。
「あの、悪魔め…」
そう言いながら三郎はゆっくりとベッドから体を起こした。そしてゆっくりとあたりを見回す。ここは、何処だと唇だけでそう呟きながら、彼はそこに見覚えがある事を思い出す。そうだ、確か、自分の家じゃないけれど、何処かで一度見たことがあるような…、そこではっと彼は息を吸い込みつつベッドから跳ね起きた。
「ここって食満先輩んちじゃん」
そうだった、確かこれも大学からの先輩でちょっと前まではお隣さんだった善法寺と食満の家の寝室だと気付いたのだ。
どういうことだ?と焦りつつも三郎はとにかく家に人はいないのかと、リビングに繋がる扉を開いた。
「あ、おはよう鉢屋、目が覚めたんだね。…二日酔い大丈夫?」
という声がダイニングの方から聞こえてきて三郎はさっと其方へと体を向けた。未だに痛む頭のせいか、上手く声も出ない。いや、これは酒焼けかと一人でぐるぐると考えた。
「おはようございます、先輩方。…まぁ、何とか動けそうなんですけど」
「けど?」
先ほど声をかけた伊作の正面に座っていた留三郎が不思議そうに聞き返す。
「…なんで私、ここに居るんですか?」
弱弱しく紡がれた言葉に家主夫婦はきょとんとして顔を見合わせていた。

とりあえず落ち着けと言われて出された珈琲を飲む間に、どうして自分がここにいるのかを手短に聞いた。
昨日、自分は仙蔵によって手ひどく酔わされ、所謂お持ち帰りをされる寸前であった様だった。だが、久しぶりに曝した醜態は酷かったようで、仙蔵も諦めたらしい。
たまたまその状態の自分を見つけたのは伊作の方だった。たまたま幼馴染の仙蔵を見かけたと思えば、べろべろの泥酔状態の三郎を肩に担いでいた。
「それで私を押しつけられた、というわけですか」
もう引っ越して大分経つのにどうして此方に連れてきたのか。それほど仙蔵も酔っていたということなのだろう。苦笑を浮かべてそう言うこと、と肯く伊作を見て三郎は何とも言えないため息をついた。
「何と言うか、ご迷惑をおかけしました…」
そう言って頭を下げれば二人は別に良いよとやはり笑顔で返してくれた。いい加減人の良い先輩たちだと少しばかり呆れてしまいそうになる。
「にしても、今何時なんですか。今日は休みだって言うのは解るんですけど」
外から見える太陽の光は大分強く、少なくとも早朝というわけではない事はうかがえた。そして、リビングへと視線をめぐらせれば、シックなデザインのそれが目に留まる。こういうシンプルなデザインは留三郎の趣味だろう。もしかしたら彼自身が作ったのかもしれない、元々手先は器用な人だった。
「…2時?」
示されていた時間に三郎はさっと血の気が失せて行くのを感じた。2時なんて朝帰りどころか既に昼の時間だ。元々無断外泊は禁じられているのに、こんな時間だ。彼の頭には阿鼻叫喚地獄絵図の自分の家が頭をよぎる。
そう言えば、携帯はどうだったろうかと思い出した。あの心配性の夫たちが自分の携帯にかけていない筈がない。
「あの、お二人とも私の荷物は…、その携帯は…」
「あぁ、それなら私のベッドの横に置いておいたよ」
その言葉に三郎はだっと勢いよく椅子から立ち上がった。拙い、非常にまずいと頭の中がぐるぐると回り始める。最早二日酔いなどどうでも良かった。これで捜索願だと出されたりしたら洒落にならない、というか彼らならやりかねない。一度だけ似たような状況に陥った際も、確か警察に駆け込まれる寸前だった、それ以降こんな事態になる事は極力避けていたのだが。
善法寺夫婦のベッドルームで自分のカバンを見つけ、中を必死で漁る。こういう時に限って見つからないのが携帯なのだが。何とかメタリックブルーのそれを見つけ、ぱかりと画面を見れば案の定という惨状であった。15分ごとに残っている着信履歴のお陰で既に携帯の電池は瀕死状態である。これじゃあかけ直しも難しいと言うのに、と三郎は少しばかり呆れてしまった。おまけに留守番電話も残っている。取り合えずリダイアルはまだせずにおこうと、彼はこっそりと夫婦の寝室に置いてある充電器を拝借し、残っている留守番電話を聞くことにした。
『三郎!無事ならかけ直してきて!』
という必死な雷蔵の声の向こうでは『さぶろー!!何処だー!もう変なプレイしないから出てきてくれー!』『馬鹿!ここで叫んでも意味ないだろ?!それに変なプレイって何だよ、兵助!』『ちょっと二人とも静かにしなよ。雷蔵が電話してるだろ?!』というどなり声も入っている。こりゃ警察に行ってるかもなぁ…と三郎は何処か他人事のように思ってしまった。
「とりあえず、電話した方が良いんじゃないのか?」
と、ベッドの横で蹲っている自分を見たのか、留三郎が何とも言えない顔で立っていた。留守電の声が大きかったのか、彼にも聞こえていたらしい。その言葉に三郎は小さくうなずいたのだった。


一方鉢屋家では―完全にお通夜の様相を呈していた。
「やっぱり、警察に行こう」
と、目の下に隈を作って兵助が真剣な目で他の三人を見つめている。彼らの前には携帯電話が置かれており、誰に三郎のかけ直しがあっても良い様に成っていた。
リビングのテーブルを囲んでどんよりとした空気をまとう彼らの中で比較的能天気に事を構えているのは勘右衛門だけの様で、彼は「まぁ、三郎も子供じゃないんだし」と警察に行くと言って効かない兵助を宥め続けている。八左ヱ門はと言えば、後1時間待とうを朝の8時から繰り返し、雷蔵は探しに行くと言って勘右衛門と攻防を繰り返した結果一度落とされて今漸く目を覚ました所だった。正直これ以上行方不明者を出したくないという勘右衛門の判断だった。雷蔵ならという信頼は、我を失った今の彼には無きに等しいもので、迷った挙句会社どころか三郎の実家にまで行きかねないと判断した結果だった。
そんな時だった、沈鬱な空気を破る様にして誰であろう、勘右衛門の携帯が鳴り響く。その音に、びくぅと四人の肩が跳ねた。携帯の小さなウィンドウには三郎はぁとの文字。オイ、と一瞬八左ヱ門の視線が勘右衛門を睨みつけるが、彼は口笛を吹く真似(あくまでも真似である)をしながら電話をとった。
「もしもし、三郎?」
『あー…、その声、尾浜か?』
「え?食満先輩?」
勘右衛門が電話をとった先の声は意外にも留三郎だった。何処か罰が悪そうで勘右衛門は首をかしげた。
「何で、食満先輩が三郎の携帯から電話を?」
その言葉に最初に食いつこうとしたのが兵助だった。それを直ぐに雷蔵と八左ヱ門が取り押さえている。
「勘右衛門!早く続き!」
「とりあえず三郎の居場所を聞き出せ!!」
なんだか、留三郎が誘拐犯みたいだなぁと思いつつも、勘右衛門は話を続けることにした。
『いや、それがさぁ…』
と、状況を察してくれたのか留三郎の方から説明が始まった。
「はぁ、あ、じゃあ三郎は先輩達の家にいるんですか?あ、二日酔いで動けない。解りました、じゃあ迎えに行くんで。え、要らない?先輩が送ってくださるんですか?はい、はい、解りました。とりあえず、3人にはきつく言っておきます。はい、だから三郎にも大丈夫って言っておいてください、はい、じゃあ失礼します」
そう言って勘右衛門は電話を切って、そしてもみ合っている3人へと向き直る。
「えーっと、今から三郎が帰ってきます」
「ほんとか?!」
「食満先輩の家にいたの?!どうして?!」
口々に妻を心配する言葉を発する夫たちに、勘右衛門は咳払いを一つして黙れと示す。何とかそれを察することに成功した三人はちょこんと座って、彼の言葉を待った。
「…三郎は、何だかんだでちゃんと反省しているそうです。連絡入れなくて悪かったと」
「「「はい」」」
「まぁ、食満先輩からのお言葉なんですが。三郎は家に帰ることに大層恐怖を覚えているそうです」
その言葉に、三人はすと思い切り、それはもう解り易く視線をそらした。
「んで、前回似たような事があった時に、お仕置きとか何とか言った人、素直に挙手してください」
その言葉にあからさまに兵助と雷蔵の肩が跳ね、八左ヱ門が深いため息をついた。どうしようもねぇ、と言わんばかりのそれに勘右衛門はあぁと納得したように声をこぼして遠くを見てしまう。ねぇ、君たちは俺が留学している間に何があったんだい?どうしてそんな妙な進化を遂げたわけ?と突っ込みたいのを必死でこらえつつ、彼は再び笑みを浮かべた。
「……もう、そう言うことしないって約束しないと三郎は家に帰ってきません。ついでに、俺の弁護士スキルを全部使って離婚成立させるからね」
こうして、勘右衛門の活躍に(?)よって、三郎は何とか無事に家に帰り着くことが出来たのだった。
が、後日―――
「あ、あああああのクソ不運どもがあああああ!!!」
と言う三郎の絶叫が家中に響き渡った。
彼の手にある携帯からは「だから!私はいっつも嫌だって言ってるんです!なのにあいつら全員いっつもいっつもいっつも無理矢理阿呆な事ばっかりして!私だって嫌いじゃないですよ、ええ嫌いじゃないけどでも限度って物が…」と留三郎の膝に抱きついて愚痴っている自分の姿が映し出された結構長い動画であった。
そして伊作からのメールの最後には「ってことで、1万円相当のケーキで手を打とう」と書いてあった。