鉢屋家の−というか、三郎の正月は基本的に寝正月である。
妻である三郎が出不精の上に、寒がりと言うのが一番の理由だった。
3人の夫はと言えば、基本的にはイベント好きばかりなので何とも退屈だと、大晦日の夜から4人で炬燵に入って、出ようとしない三郎の様子に顔を見合わせている。
「なぁ、三郎ー。4人で初詣行こうぜ」
炬燵の中で、伸ばした足を蹴りながら竹谷が三郎に声を掛ける。
3人の中で一番退屈して、一番こういうイベントが好きなのは彼だった。
其の言葉に、三郎はんー…なんて生返事を返しながら、紅白歌合戦なんか見ている。
「なぁってば」
「やだよ。明日の昼にでも行けばいいじゃないか」
「ばっか。日付が変わる瞬間が良いんだろ?」
なぁ、ともう一度言えば、三郎は小さく溜息を吐いた。
今年は夫婦4人で過ごす最初の正月だ。
だからと言うわけではないが、全員が全員ちょっと多めの休みを取っている。
何処かに出かけられるように、家でゆっくり出来るように。
最初は旅行というの案も出たけれど、結局資金の問題で家でゆっくりという事になったのだったが。
昼間に行けばいいと言う三郎に、どうしようと3人は苦笑を零す。
「なぁ、兵助と雷蔵は行くだろ?」
と、声を掛ければ三郎の肩が微かに揺れるのが見えた。
何だかんだと寂しがりの彼は、家で一人というのは苦手らしい。
だが、意地っ張りなのも変わらずで、聞き耳を立てながらも知らぬ振りを通していた。
「そうだな、私は行こうかな?家でじっとしているのも退屈だし」
テレビも見飽きたし、と兵助は続けた。
「雷蔵は?」
と、続ければ流石に三郎の視線もこちらに向くと言うものだ。
この中で一番付き合いが長く、一番素直に甘える相手は彼なのだから。
うーん…と悩むように雷蔵が言葉を零せば、三人の視線は自然と彼に集まってしまう。
テレビは気が付けば、紅白も終わって、除夜の鐘を撞く光景を映す行く年来る年に変わっていた。
ごーんとテレビから除夜の鐘が響けば、そうだね、と雷蔵が口を開く。
「僕も行こうかな。折角だし、みんなで初日の出を拝むのも良いかなぁって思うんだけど」
そこまで言われれば、流石に三郎もどうするか迷ってしまっているらしい。
「三郎、どーする?雷蔵も兵助も行くってよ」
と、何処か勝ち誇った様に言う竹谷の様子に、渋々と言うように三郎も炬燵から上半身を起こした。
「解ったよ、私も行けば良いんだろう?」
これで良いのか、と言うような不満そうな声に、そうそうと頷く。
結局、一人残されるのには弱いのだ。
車に乗り込んで、近所のちょっと大きめの神社まで足を運べば、既に人で賑わっている。
それを見越したのか、駐車場も多く取られていた。
何とかそこに滑り込んで、4人で外に出る。
最近、急に寒くなったと話していたが、雪まで舞っていた。
ちらちら舞って、地面に落ち、それが溶ける様子を見れば三郎は嫌そうに眉根を寄せている。
「…雪まで降ってるし」
「でも、そんなに寒くないよ。雪が降ってる分、温かいと思うけど」
それに風情もあるしね、と雷蔵が続ければそういう言い方も有るけどと渋々納得したらしい。
4人で境内まで行けば、人でごった返していた。
やっぱり同じ事考えるんだなぁと思いつつ、先に参拝を済ませようとその行列に並んだ。
松明とライトで照らし出された境内は、赤く輝いているように見える。
途中に縁日まで出て、おめでたい気分は最高潮という感じだった。
「あ、順番来たみたいだ」
と、いう兵助の声がして皆で横に並んでお賽銭を箱に放り込む。
しゃりしゃりを鳴らして、目を閉じれば四者四様に願い事をした。
顔を上げるのは殆ど同時で、次ぎに順番を譲る。
後ろを振り返れば、灯りの中に凄い行列が見えて小さく笑いを零した。
途中で買ったのは甘酒だったが、兵助は相変わらず一人だけ田楽豆腐を食べている。
何であれが屋台で売っていたのか、甚だ不思議だったけれど、それでも有ったのだから豆腐好きの彼としては買わざるを得なかったのだろう。
甘酒を啜りながら、二人は雷蔵と竹谷の帰りを待っていた。
途中で、屋台を見ようとなって、二手に分かれたのだ。
色々食べて回りたい派の二人と、それほど食の太くない二人という分け方をすれば自然とこうなる。
隣で、田楽豆腐を食べている兵助を見ながらふと目の前に視線をやれば、自分の吐いた息が白くなるのが見えた。
「こんだけ人がいても、息って白くなるんだな」
温かいのに、と続けると「そりゃ、空気は冷たいから」と返事が返ってきた。
「初日の出まで、後どれくらいだ?」
「後、5時間くらい…?」
多分、と携帯を見ながら言われれば、げんなりした様子で三郎は息を吐く。
「私、それまで起きてられるか自信ないんだけど」
「寝たら起こしてやるよ」
「……ここで?」
「まさか。海の方まで行こうって話してたみたいだけど」
海…と、言われた場所を反芻すれば、冷たい海風の事しか頭に浮かばなかった。
寒いのは苦手だと知っているくせに、と文句の一つも言いたいけれど。
「大丈夫だよ、彼処も人が結構いるからそんなに寒くないって」
「でも、風は冷たいだろ?」
まぁ、そうだけど、と言いながら豆腐の最後の一口を兵助が食べ終わる。
串は近くにあったゴミ箱へと放り込まれた。
「寒かったら誰かにくっついてれば良いだろ?」
な、と言って頭をなでられれば、何とも言い返せずに甘酒を飲み進めるだけだった。
全部飲み終わった頃に、二人は帰ってきた。
どれだけ食べたのかと、聞けば指折り教えようとするから結局車に戻る途中で「もう、良い」となってしまった。
取りあえず、一通り食べてきたという事だけははっきり解る。
全員で車に乗れば、エアコンから出てくる冷たい空気に、肩を竦ませた。
エンジンがちゃんと掛かっていないせいか、吹き付ける風は余計に冷たい。
それでも、初日の出を見るという目的は未だに達成されてないせいか、まだ家に帰るという話は出なかった。
むしろ、案の定というか、兵助のいう通り、二人は海に行こうと言い始めている。
本当に行くつもりなのか、と三郎はため息を吐いたが乗り気の二人(もしかすれば兵助もそうかもしれないが)は当然と言ってきかない。
ここから海まで、カーナビは1時間程度という計算結果を出しているが、おそらくは渋滞でもっとかかるだろう。
ここまで来て、いかない帰ろうというのは流石にいうことはできなかった。
渋々と、三郎も首を縦に振って、車は海の方へと走り出したのだった。
暫くすればエンジンも温まり、噴き出す風も暖かく変わっていく。
それを助手席という絶好の位置で受けていれば、三郎に睡魔が訪れるのは時間の問題だった。
うつらうつらと瞼は降りて、結局は完全に寝入ってしまった。
それを後部座席から覗き込みながら、竹谷はははと小さく笑いをこぼしている。
「やぁっぱ、眠かったのかこいつ」
渋滞で車はほとんど動かない。
そのせいか、警察の姿もほとんどなく、後部座席の二人は完全にシートベルトなど外していた。
「まぁ、甘酒飲んでたし、寒いの苦手だったからね」
「暖かくて安心したっての?」
たぶんね、と雷蔵が返事をすれば、竹谷はするりと三郎の額に掛かる前髪をなでる。
それにかすかに彼が身じろぐのがわかれば、くつりと喉の奥で笑いをこぼした。
「にしても、混んでるよなぁ。みんな考えることは一緒ってことか」
「海で初日の出、見れるか怪しいよな」
時間通りのつくんだか、と兵助が携帯で時間を確認しながらため息を吐く。
時計はすでに5時を指していて、日の出まではあまり間がなかった。
なんとなく、新年の挨拶もまだ交わしてないのは、初の日の出を見るまでは、年が変わった気がしないからなのだろう。
車はじわりじわりと動くばかりで、ほとんど進む気配を見せない。
ふ、と息をつきながら雷蔵がギアをパーキングへと入れて、完全に待つ態勢をとってしまった。
「ま、気長に行こうぜ。うちの奥さんも寝ちゃってるし」
「着いて起こさないと、機嫌悪いだろうねぇ、三郎」
「寝起き悪い癖に、こういう時に放っとくと拗ねるしな」
気難しいんだから、と兵助も三郎の寝顔を覗き込みながら、小さく笑う。
結局そのあとも車はほとんど進まなかった。
間で、竹谷が飲み物やらを買いに行く暇があるほど、渋滞してしまっている。
海はすぐ横に見えているのに、浜に降りることはできそうになかった。
駐車場の許容量を増やせばいいのに、と不満そうにしつつも、日の出の時間は近づいている。
ぼんやりと外を見ていれば、ゆっくりと雲の間から光がこぼれるのが見えた。
あ、と雷蔵が声をこぼして隣で熟睡している三郎の肩に手をかける。
「三郎!三郎、おきなよ。初日の出、終わっちゃうよ」
そう声をかければ、後ろから竹谷も三郎の肩に手を伸ばして、揺さぶり始めた。
「ほら、起きろってば!外、日の出!ほら、起きろって!」
ん、とかすかに三郎が身じろぐのを見れば、それに兵助の声も重なる。
軽がかすかに揺れるほどに、揺さぶられればさすがに、三郎も目を覚まさざるを得なかった。
「ん、だ…よ」
かすかに瞼を上げれば、そこに柔らかい光が当たる。
す、と雷蔵が体をずらして窓をしっかり見られるようにすれば、その眩しさで眉をしかめた。
「だから、初日の出だってば」
そう言われて、三郎もはっきりと目を開けた。
窓の向こうから見えるのは、水平線の上の雲間から顔をのぞかせる太陽だ。
それは、何の変哲もない朝日で、ただ年の変わり目に見るそれだけのはずなのに。
こくんと4人の喉が鳴った。
空いっぱいに溢れる光が海の上に上って来る。
それが全部姿を現わせば、思わず4人で顔を合せてしまった。
「明けまして、おめでとう」
「今年も、よろしくね」
そんな決まり文句がやけに、嬉しいものに思えた。