08 / それがどんなに
「海に行きたいな」
そう言った僕に家族はすぐにうなずいてくれた。
あの映画の中で家族はとても楽しそうに夏の海を過ごしていた。
父さんも母さんも、兄さんも、少しだけ暑そうに見ていたけど承諾してくれて、僕はとてもうれしかった。
この人工の海でも十分その気分は味わえて、僕はとても幸せだった。
映画みたいに父さんと僕は海に、兄さんと母さんは浜辺にいた。
こちらを見ている二人を振り返った時に、僕は少しだけ茫然とした。
兄さんは―三郎は僕の知らない誰かと話をしていた。
長い黒髪の彼は三郎の隣に立って、こちらを見て何かを話している。
その距離が幾分か近い気がして、僕は胸の奥がむかむかした。
イライラする、と思ったのは本当に何年振りだろう。
課題が終わらないと言うので、イライラしたことはあったけれど、誰かと誰かが一緒にいてというのは今までにはなかったはずだ。
そんな事を一日中考えながら、食事の時間も眠る前までも三郎とは少しぎこちなかった。
過眠室と言っても意外としっかりした作りのそれは基本二人部屋で、僕と三郎、両親と言う別れ方になった。
隣にいる三郎の背中を見ながら、僕は小さく息をついてベッドを抜け出した。
砂浜に出ると足元が解るくらいの照明が付いている。
地球の浜辺を再現したものだから、これは月明りというものだろう。
この衛星が太陽の光を受けて発しているものだ。
さくさくと砂を踏みながら波打ち際を歩いていれば、僕の前に一つの影が目に入った。
「君は…」
「雷蔵」
と、昼間の黒髪の少年がそこにいた。
「どうして僕の名前を?」
そう問いかえれば、彼は目を見開いて、それから何かを察したように一度だけ瞼を下した。
「…三郎に教えてもらった。三郎と私は友達だから」
「そうなんだ」
「私は久々知兵助っていうんだ。兵助って気軽に呼んでくれて構わないから」
そう言われて僕は小さくうなずいた。
兵助はじっと暗い海を見ている。
ゆらゆらと揺れる水面は照明を受けて輝いている。
空は薄暗い中にぽつりぽつりと星のような光を宿していた。
「ねぇ、君…兵助は、何時から三郎と友達なの?」
「私?…私は、ここに来る前からかな。小等部の頃から一緒だったと思う」
そう…と小さく返せば、兵助はそっと此方を向いた。
長い黒髪が風になびいて、更に闇に溶けるように見えた。
「じゃあ、雷蔵は?雷蔵は…何時から三郎の事知ってるんだ?」
そう問いかけられれば、僕は確か、と小さく言葉を次ぐ。
「中等学校の頃からだと思うよ。同じクラスになって…」
「本当に?そこで初めて会ったの?」
「…そう、だよ。僕はそこで初めて三郎に会った」
そういうと兵助はじっと僕の目を見つめて、じりと一歩距離を縮めてきた。
微かに砂が足を埋めているな気がした。
決して足をそこに突っ込んだりしたわけではないのに、それはまとわりついて僕は足を動かすことが出来ない。
逃げたい、と別に彼が何かしてくるわけではないはずなのに、そう思った。
「それは絶対と言える?」
「どう、いう…」
「なぁ、雷蔵。君のその物忘れは今に始まったことなのか?」
「確かに、最近色んなことを忘れてしまうけど…」
でも、と。
僕の記憶の中にある三郎はそこが初めてだった。
中等学校で同じクラスになって、三郎が話しかけてきてくれて、僕達は友達になった。
確かに僕はまだ三郎の事はよく知らないけれど、それを忘れたりなんかするわけないのに。
「なぁ、雷蔵。これは大事な事なんだ。君は絶対に思い出さなくちゃいけない。…誰よりも三郎のために」
「三郎の?」
「そう、あいつの為だよ。そして、君のためでもあるんだ」
「…でも、何を思い出せばいいのか、解らない。忘れた事は全部、思い出せないんだ」
その言葉を聞けば、兵助はすぐに首を横に振った。
彼の眼は伏せられて、何処か悲しそうにも必死そうにも見える。
「違う、それは思いこんでるだけだ。君がそう思い込んでいる限り絶対に思い出せないよ」
「でも…」
「少しだけ、思い出せるって思ってみてほしい。少しだけでいいんだ、そうしたらきっと変わる。私は、そう信じてる」
だから、と彼が言葉を切って、僕は目を伏せた。
思い出せる、忘れてしまったことは必ず思い出せる。
まっすぐに見つめられる視線に、僕は小さくうなずいた。
「自信はないけど…そう、思ってみる」
「よかった」
そう言って兵助は笑みを浮かべた。
思い出せる、僕は思い出せる。
そう、信じてみようと思った。