20 / ずっと一緒にいよう。
「雷蔵、海に行こう」
声が聞こえたのは本当に唐突だった。
部屋に帰ったのに、三郎はそこにはいなかった。
僕はそれが怖くて、何処に行ったのかと探し回った。
でも、彼は何処にもいなかった。
いや、もっと言えば、ここには僕以外誰もいなかったのだ。
兵助も、ハチも、僕の知っている人は誰もいない。
知らない人だって、誰一人いなかった。
怖くてしょうがなくて、僕はあの海へ行っていたのだ。
「三郎?何処に行くの?」
声を聞いてと三郎は言った、彼の言う事をよく聞いてと。
僕はその声に従って、エレベーターに乗った。
どんどん上にあがっていくエレベーターは終わりがないように感じる。
それでも、僕は三郎の声にだけ従った。
麻痺していくような感覚の中で、僕はようやく落ち着き始めていた。
「三郎、ねぇ、君は今、何処にいるの?」
そう尋ねると、三郎は一瞬口を噤んでしまった。
僕はその沈黙が怖かった。
最初に尋ねた時も彼は黙ってしまったから。
もしかしたら、僕の予感は当たっているのかもしれない。
「三郎、君はもう、消えてしまったの?」
そう尋ねると彼が微かに息をのむのが聞こえる。
少しだけ理解し始めた状況に僕は目の奥が熱くなった。
そうか、もう、僕一人になってしまったんだ。
きっと僕の他には誰もいない。
三郎が言ったわけでもないのに、僕はそれを唐突に理解した。
ぽとりと僕の目から涙がこぼれる。
でも、悟られてはいけないと僕はそれを手の甲で拭った。
「…雷蔵、このエレベーターは最上階まで行く」
「最上階って…立ち入り禁止の場所じゃないの?」
確か、一般生徒は立ち入り禁止だったはずだ。
でも、今じゃあもう関係ないのかもしれないけど。
「…良いんだよ、今はもう関係ない。雷蔵、そこにね、兵助が用意してくれたロケットがあるはずだ。それは、自動で母星に行くようになっている。あの海に、君を連れて行ってくれるんだ」
「約束した、海?」
「そうだよ」
「でも、行けないよ、三郎。僕は行けない…」
だって、一緒に行くと約束したじゃないか。
二人であの海に行くって、それに僕はあの海に行ったらやらなきゃいけない事があるんだ。
それは…。
「君がいないと、意味ないじゃないか。約束、守れないじゃないか」
あの約束を…。
もう一度、あの場所に帰って、ずっと、ずっと二人で。
「…雷蔵。思い出した?」
そう問われて僕はうん、と肯いた。
もう涙を隠すなんて出来なかった。
こみあげてくる涙と、嗚咽と、それをのみこんで、僕は肯くしかできない。
「…三郎、約束、したじゃないか。だから、僕はここに来たんだ。コスモスに言った。僕は三郎のパートナーだから。だから、君のそばにいないといけないって。でも、…君は、その事を話してもくれなかった。僕が言いだすのをずっと、ずっと待って、待って…そのうち、僕も意地になって…」
「雷蔵、ごめん…」
意地になって、いたんだ。
あの時、初めて会った時、僕は一目で彼をマザーだと理解した。
でも三郎は一言だって、あのときの事を口にしてはくれなかった。
まるで今初めて会ったと言うように自己紹介までした。
だからなのだろうか、僕は次第に約束を忘れて、また新しく関係を築こうとしていた。
だって、それが心地よかったんだ。
あの時の約束は、そうだ、僕と彼の約束は全部、この為のものだから。
「三郎、君は…全部要らないなんて言うんだ。そして君も忘れてしまう。僕は何回も君の所に行ったのに…。クロスしようって行っても、君は僕は違うと言って、拒否する癖に、次の日には忘れてしまうんだ」
そうだ、全部思い出したよ、三郎。
だったら、君だって思い出してるはずだ。
僕を見て、君はおびえて、でも次ぎの日にはそれさえも全部忘れて。
そして、僕だって、同じだ。
何時もそうやってすれ違って、結局ここまで来てしまった。
エレベーターが最上階を告げている。
扉が開いて、そこは幾度か来た事があった。
ここはコスモスのお膝元だ。
「でもね、雷蔵。私も一つだけ重要な事を思い出したよ」
「三郎?」
「これはね、雷蔵。君だって知らない事だよ、きっと」
「…なんだよ、それ」
「でもね、教えてあげないよ」
だって、悔しいだろう?とそう言って彼は小さく笑った。
何が悔しいんだよ、今さら秘密なんて持っても意味なんて無いのに。
広い、宇宙へとつながっているそこには小さなロケットがあって、僕はこれが母星へ帰るためのものだと直ぐに解った。
乗らないといけない。
マザーが望むなら、僕はそうしなければいけないんだ。
中に乗り込めば、機械は勝手にエンジンをかけた。
自動操縦になったそれは、ゆっくりと動き始める。
「…ねぇ、雷蔵。私ね、ずっと怖かったんだ」
「……」
「一度、他の物を拒否してしまうと後で、やっぱり必要だと言っていいのかって。それが凄く怖かった」
ゆっくりとロケットは母星に、あの碧い星に向けて動き始めた。
あぁ、きっと三郎と話すのも最後だとそんな事を思って目を閉じる。
「だってね、その時に今度は自分が拒否されてしまったら、嫌だろう?だから、全部要らないって思ったんだ。君だけ、君なら私を受け入れてくれるかもしれないって、そう思っていた」
「そんな事ないよ。心から望めば、ちゃんと伝えれば、拒否されるなんてそんなこと、あるわけがないんだ」
「そうだね、私はそんなことも気づかなかったんだ。ずっと、君だけに受け入れてもらえればいいと、そう思ってた」
暗い空が目の前に広がって、それからすぐに碧い星が目の前に現れた。
ガラスのように輝く星に、僕は思わず息をのむ。
そうだ、この星はまるで君みたいなんだ。
暗い宇宙の中で、太陽の光を受けて、泣いているみたいに見えるんだ。
そう、だから僕はこれを見て、懐かしいと泣きたいくらいに切なくなったんだ。
「だから、雷蔵。もう少しだけ待っていてほしい。あの海で、絶対に私もアソコに行くから」
「新しい、約束?」
「うん、約束だ」
そう言われて僕はそっと小指を母星に向けて差し出した。
絡むわけもないもうひとつの小指、でも、それは確かに僕のそれと重なったのだ。
「約束破ったら、ハリセンボンだよ?」
そう言って僕はそっと目を閉じて、眠ることにした。
三郎の声はきっともう聞こえない。
目が覚めたら僕はきっと、あの碧い星にいるんだ。
さざ波の音で目を覚ますのはもう日課になっていた。
環境のせいで、完全に人のいなくなった街は夜は不気味だけれど、昼間は清々しいくらいだった。
さんさんと降り注ぐ太陽はもう人に害しか及ぼさないらしいけれど、僕はそれを浴びるのが好きだった。
ざぁと暑い風が吹いて、僕は空を見上げる。
雲だけがゆっくり流れて、僕は息を吐いた。
あの、三郎が育った、約束の海は記憶にあるものよりもずっと綺麗だ。
「兵助達も連れてきてあげたいなぁ」
きっと喜ぶはずだ。
ハチは直ぐに海に入って、僕達を呼ぶんだろうな。
それに僕と兵助が返事をして、三郎はきっとダルそうに最後に海に入るんだろう。
そんな事を想像して僕はふふと小さく笑いをこぼした。
約束を、僕は待っている。
必ずここに帰ってくると言った彼は、未だに姿を見せない。
遠くで、警告音が聞こえていた。
月に一度は鳴り響く、紫外線や放射能の影響を伝える放送だった。
「待ちくたびれるよ、三郎」
そう言った僕の言葉はさざ波の音にかき消される…はずだった。
「じゃあもう待ってくれないのか、雷蔵」
「そうだね、もう待たなくて良いんだからさ」
そう言って僕はゆっくりと振り返る。
あぁ、今度こそ、僕達の約束を守るんだ。
「だって、これからはずっと一緒にいるんだろう?」
そう言ってにっこりと笑うと三郎は同じ笑顔で肯いてくれた。
帰ろう、あの海に。
あの約束の海に。
僕と君の約束を、あの海で。