16 / 僕は待っている。
あの日から、僕はあの夢が気になっていた。
あの海の夢で、僕は誰かと一緒にいて、誰かと約束をした。
それが何か思い出せないし、その誰かが解らないけれど、僕はそれを思い出さなければいけない気がした。
僕のためじゃなくて、三郎のために僕は思いださければいけないと思ったのだ。
彼は最近ずっと眠っている。
勿論、ちゃんと起きて食事も取るけれど、格段に眠っている時間が増えていた。
それがとても不安だった。
考え事をする時、僕は最近あの海に行くことが増えていた。
三郎はこの海が懐かしいと言った。
もしかして、とあの夢で僕が約束した相手は三郎だったんじゃないかと。
顔は何時も影がかかっていて、思い出せない。
でも、僕は彼ととても大事な約束をしたけれど、やっぱりそれも思い出せなかった。
でも、ここに来れば、三郎が懐かしいと言ったここに来れば思い出せるかもと考えたのだ。
暑い、潮の香りのする風を受けて僕は目を閉じた。
懐かしい、と言うのは母星を見たときに感じるあの切ない感情だ。
今、僕はあの夢の事を思い出して、懐かしいと感じているのだろうか。
三郎、もし君があの人なら、僕はきっと約束も思い出さなければいけないんだ。
「雷蔵、ここに居たんだ」
聞き覚えのある声がして僕は目を開けた。
視線を横に向ければ、そこには兵助が立っている。
彼は片手を上げて僕の方へと近づいてきた。
「久しぶり、兵助」
「……なぁ、雷蔵。あの後、何か思い出した?」
そう尋ねられて、僕は微かに視線を落とした。
思い出せたわけではない。
ただ、気になる事はあるのだ。
「ねぇ、兵助。僕ね、夢を見るんだ」
「夢?」
「夏の海の夢なんだ。僕の小さい頃ね、うろ覚えなんだけど、毎年海に行ってたんだ。そこで何時も大好きな誰かと一緒に遊んでた。そして、最後に別れた時に約束をしたんだ」
そう言うと兵助は、そっと海の方を見つめた。
輝く海の向こう、水平線のように見える部屋の終わりだ。
「その約束は…思い出せたのか?」
そう問われれば僕はゆっくりと首を横に振った。
それはまだと言うようなその所作に、兵助は残念そうに眼を伏せた。
「そう、か…」
「でもね、兵助。僕ちょっとだけ、解ったって言うか、もしかしたらって思うんだ」
「雷蔵?」
「あの夢で、僕と一緒に遊んで、約束をしたのは三郎じゃないかって。三郎が思い出してっていった事はもしかしたらこの事なのかもって」
そう思うんだ、と続けると兵助は微かに口元に笑みを浮かべている。
「…あと、ね。クロスの事、綾部君から聞いたんだ」
「綾部から?」
微かに目を見開く兵助を見やりつつ僕は肯いた。
「うん、僕や三郎や…一部の人には重要な意味があるって。それで…」
「三郎にやってみようって言ったの?」
僕はその質問にこくりと肯いた。
否定する理由が見つからないと言うのもあったし、何より僕は知りたかった。
多分彼は僕の知らない事をたくさん知っているし、きっと三郎の事も僕なんかよりも知っている。
もしかしたら、今三郎の具合が良くない原因も、知っているのかもしれない。
「…そう、誘ったのか」
そう言って、彼は考えるように目を伏せた。
「でもね、駄目って言われちゃった。今の僕じゃあ駄目だって」
「……」
「思い出してって言われるんだ、三郎から。それで、考えたんだ…。考えて、あの夢で約束したのは三郎で、僕はその約束を思い出さなきゃいけないって」
そう思うんだ、と続けると兵助はこくりと肯いた。
やっぱり、と唇だけで紡げば、兵助の眼が僕の方へと上がってくる。
「…兵助は、その約束を知ってるの?」
そう問えば、彼は首を緩く横に振った。
「約束があるのは知ってるよ、でも内容までは知らない。流石に、そこまでは三郎も教えてくれなかった」
「そっか…」
「それに知っていても、私は君に教えたりしないよ」
「教えない?」
そう問い返せば、兵助はこくりと肯いた。
さびしそうという言葉が彼にはよく似合うと思う。
伏し目がちなそれは、幾度かの瞬きをして、また僕へと戻ってくる。
「…悔しいじゃないか。コモンズが決めた、三郎のパートナーは私で、私はそれを聞いたとき、凄くうれしかった。でも、三郎にはね、既に心に決めた人がいたんだ」
そう言って、彼は僕を真っ直ぐに見詰めてきた。
「三郎は、ずっと君だけを思ってきたんだ。私と会った時にはもう、パートナーには君しかいないと言ってた」
「…それは、何時頃から、なの?」
「多分、ここに来てからだ。そのあたりの記憶は私も曖昧だから」
「…そっか」
「でも、三郎から断られた時はショックだった。どうして駄目なのかと詰め寄った事もあるよ。…でも、そのたびに君の事を持ち出されたから。流石に、もうかなわないって解りきっているけど」
あぁ、そうかと僕は何となく理解した。
兵助は三郎が好きなんだ。
きっと、僕が三郎を好きなのと同じくらい好きで、きっと教えないと言うのは嫉妬しているからなんだと、解った。
「知ってたら、教えないっていう意地悪も出来たけど…三郎は私にはそれも許してくれないんだ」
「…兵助は、三郎の事が好きなんだ」
そう言えば、彼は「そうだね、」と微かに目を伏せながら肯いた。
「好きだよ。きっと、最初に会ったときからずっと好きだった…。だから、かもしれないけど。私は、三郎に生きててほしい。みんなみたいに消えてほしくないんだ」
「…消える」
「本当はその事、聞きたかったんだろう?」
そう言われれば僕は思わず視線をそらしてしまう。
確かに、兵助の言うように僕はその事が聞きたかった。
あの通信履歴に残っていた消えるという言葉がとても気になっていたから。
「あの通信を見たんだろう?」
「何で、知ってるの?」
「…あれ、履歴じゃないよ。私がリアルタイムで送ってた。スクロールしたら、それもこっちの画面に出てくるんだ。…三郎から返事が来たのはスクロールのもっと後だったからね」
そう言って笑われれば、僕は何となく恥ずかしくて更に視線をそらしてしまった。
「別に良いよ、そのうち君も気づく事だったはずだから…」
「そっか…」
「消えるって言うのは、文字通り消えてるんだ。その存在が全部。体だけじゃなくて、人の記憶からも。それが消えるって事」
「…じゃあ食満先輩や、善法寺先輩達は…」
「いたけど、消えてしまった。どういうわけか、完全にいなくなってしまってる。タカ丸さんも…綾部ももう、いないんだ」
「綾部君も?」
この間話をした彼がもういないと言われて、僕は目を見開いた。
もう、いない。
世界のどこを探しても彼らはいないのだ。
「…でも、何で、みんなが」
「それは…ね、三郎のチャイルドとそのパートナーだから」
「チャイルド?」
そう聞き返すと、兵助はこくんとまた肯いた。
「そう。…私たちがこの衛星に移り住むときにね、コモンズは一人の子供を見つけたんだ。彼は、誰でもあって誰でもない。世界でたった一人、私たちとは違う人類だった。彼はあの星に唯一適合出来る人間だったんだ。それが解ったコモンズは…ある実験をした。それは彼の細胞を他の人間に移すこと。彼みたいに、母星で生きていける人類を増やそうとしたんだ…。でもそれは半分成功して、半分失敗した」
「半分成功で、半分失敗?」
「…彼の細胞を植え付けた一部の子供は生き残って、植えつけられた胎児は死んでしまった。細胞の年齢が高すぎて、彼よりも年の離れた子供は死んでしまうんだ。そして、もう一つ…彼にはどうしても必要なものがあったんだ」
「必要なもの…」
「それは彼が生きていくために必要な人…それがパートナー。そして、それは彼の細胞を植え付けられたチャイルド達も同じだった。あらかじめ、一体どういう理由で決められるのか解らないけど…パートナーがいて、その人とクロスをしなければいけない」
「じゃあ、今消えているのは…」
「そう、三郎の細胞を植え付けられた人とそのパートナーがいなくなってるんだ」
「じゃあ、三郎が今、具合が悪いのは…」
「多分、それが影響してるんだと思う」
そう言った僕の声も、兵助の声も震えているような気がした。
二人で出した結論はきっと同じだ。
嫌だ、そんなのは、絶対に嫌だ!
僕は目の前が真っ暗になる気がした。
僕が出した結論はきっと何よりも悪いものだ。
「……でも、雷蔵。そのうち、消えるのは誰でもよくなるんじゃないかって思うんだ」
そう言って兵助は海の方を見つめる。
微かにゆがんだ表情は、泣くのをこらえているようにも見える。
「要らないって、言われたんだ私たちは。母星から、必要ないって言われた。…だから、消えるのは……当然なのかもしれない」
そう言って顔を伏せる兵助を見ながら僕は、言葉も出なかった。
必要ない、要らない、それはきっと嫌われるなんてよりもずっと悲しい事だ。
僕達の存在なんか、きっとまるでちっぽけなんだと言われた気がした。