10 / 救われた気がした。

蕾が芽吹いて、葉が生い茂り、花が咲いて、それが散っていく。
人間の人生とはそんな風に譬えられた事があると聞いた。
私は、幼いころそんな人生に憧れた。
一花咲かせるというのだと、今はもう何処にいるかさえ解らない誰かが私にそう教えてくれた。
私が幼いころには既に両親は私を育てることを放棄していたという。
生まれたばかりの私は直ぐに祖父母に預けられた。
だから私の記憶には祖父母の家と、そこからみた大きな海と、そして、幼い私のたった一人、夏だけの友達が鮮明に刻まれている。
その頃から、私は自分の体がどんなものであるか知っていた。
自分の体は誰でもあり誰でもない。
ただ一人、自分の選んだものになれるのだ。
あの夏に、初めて会った彼は私に友達になろうと言ってくれた。
それが嬉しくて、私はその時嬉しくても涙が出るのだということを知った。
その時から、私はたった一人、彼だけを思い続けてきたのだ。

「…食満先輩のお見舞いに行こうよ」
共同生活を終えてから数日経って、雷蔵が私にそんな事を言った。
あの日から、四人別々に暮らすことになったかと思ったけれど、予想に反して、雷蔵はまだ私の部屋にいていいかと聞いてきた。
何があったのかは知らないが、私はそれに肯いた。
一緒にいられるだけでいい、というのは嘘だが、それでも嬉しかったのは嘘ではない。
彼との生活はとても自然で、緊張することなどなかった。
そんなところは幼いころからちっとも変りはしない。
お見舞いと言っても、今先輩が何処にいるかなんて雷蔵は知らなかった。
食満先輩はもうここにはいない、戻ってくることもないのだと言おうとしても言葉になど出来なかった。
二人で先輩たちの部屋のあるフロアへとエレベーターで降りていく。
扉を開ければそこからは表札を見ながら二人の部屋を探した。
そう言えば、私はあの人たちの部屋に行ったことがなかったなといまさらながらに思った。
そしてこの寄宿舎では珍しい二人部屋だったことを知って、少し驚いた。
「ZK0786598」と言うのがどうやら二人の番号だったらしい。
その下には二人の名前が書いてある。
私たちは視線を合わせると、表札の下にあるインターフォンを鳴らした。
ピンポーンというオーソドックスな音が響くけれど、それ以外に何も帰ってはこなかった。
「いないの、かな?」
と、隣で雷蔵が残念そうに視線を落とす。
それを見ながら、私の背筋にぞわりとした嫌な感じがした。
「いや、気づいてないのかもしれない」
それはない、と自分で思いつつも、私はその可能性を否定したくなかった。
もう一度インターフォンを押しても中の反応がないのは同じだった。
隣の雷蔵の視線も少しだけ不安そうなものへと変わっていた。
それを振り切るように私は「開けてみよう」と言った。
言うが早いか、隣で「三郎?!」と咎めるような声がしたのも気にせずに、扉の開くのボタンを押した。
中から鍵がかかっているならば開かないはずだ。
だが、その扉はいとも簡単に開かれてしまった。
「これ…」
中はもぬけの殻だった。
生活のにおいなど欠片もしない、綺麗に何もなくなった箱のような空間がそこにはあった。
私はその光景に、あぁもう先輩たちは二人とも何処にもいなくなってしまったのだと、理解した。
「どう、して…」
それでも私はそう言いたかった。
どうして、あの二人が…。
他にいただろうなんて言いはしない。
でもこんな風に最後の痕跡すらも、もう無くなる事が解るくらいに消えてしまわなくてもいいだろうと。
ぐ、と唇を噛めば、隣でそっと雷蔵も部屋をのぞきこんでいるのが解る。
これを見て彼はどう思うのだろう、あれほど二人を慕っていたのだからと視線をやれば、彼は何の感慨も持たない目でそこを見ていた。
「らい、ぞう?」
「仕方がないよ。これは、コスモスが決めたことだ」
そう言って、雷蔵はふ、と小さく呆れたようにため息をついた。
「何、言って……」
「コスモスだよ、HS787944―いや、マザーかな。コスモスはコモンズよりもずっと力を持っている組織だって、君だって知ってるだろう?」
「そりゃ…知識としては、持って…」
「なら解るだろ?コスモスが決めたことに、ここの連中が逆らえるはずはないんだよ」
そう言って雷蔵は小さく息を吐いてから、私のほうを向き直った。
「要らなくなったものは捨てられる。それがここの掟、むしろ自然の摂理だろう?」
「らいぞう?何を言ってるんだ?」
そう問い返せば、雷蔵のほうが不思議そうに私を見てきた。
余りの事に頭がついていかない。
これは、一体誰だ?
私の知っている彼ではない、それしか理解できない。
「…何って。それは僕の科白だよ、マザー。君こそ、どうしたっていうんだよ。コスモスの決定なんだ、そんな風に悲観したってどうしようもないだろう?」
それよりさ、と言って雷蔵はすと顔を近づけてきた。
思わず体を引いてしまうが、それも気にせずに彼は私に唇を重ねてくる。
それに驚いて、思わず胸を押し返せば彼は不思議そうに首をかしげてきた。
「どうしたの?君はこういう、古典的な段階を踏むクロスが好きだったじゃないか」
「クロスなんて、私は君としたことなんて…」
「また忘れたの?」
そう言われて、私は目を見開いた。
忘れた?私が?彼とクロスしたことを?
「そうだよ?何度もしたじゃないか。そのたびに君は忘れて、次の日には変わらない顔で話しかけてきたけどさ。またなの?」
「何、言ってるんだ、雷蔵」
何とかそれだけ紡げば、彼はきょとんとしてそっと体を離した。
不思議な顔をしたいのは此方だと思いつつも、どうにもおかしい雷蔵の様子に驚くことで精いっぱいだった。
「…あれ?三郎、ここ空き部屋だよ?先輩たちの部屋じゃない。間違えたのかな?」
そう言って彼は急にあたりを見渡した。
何が起こったんだ?と私は驚いたまま、不思議そうにあたりを見渡している雷蔵を見つめるしか出来なかった。
「ねぇ、三郎、今日は出直そうよ。ちゃんと部屋の番号を調べてさ」
そう言われて、私はようやく絞り出すようにあぁと返事をした。
どういうことだろう、とそんな事を考えつつも私は雷蔵に問うことは出来なかった。