01 / 碧い海
幼い頃から頭にこびりついているのは、碧い海の映像だった。
そこで僕は大好きな誰かと一緒にいて、何時もいっしょに遊んだ。
二人きりの世界、この夏が終われば僕は元の世界に戻らなければいけなかった。
彼はそれを凄く残念がって、別れの間際には毎回泣いていた。
また来てくれるよね、という彼に僕は何時ももちろんだよとうなずいた。
その言葉に彼は嬉しそうに笑ってくれて、僕を元の家に連れ戻すためのエア・カーを見えなくなるまで見送ってくれた。
あれは一体誰だったんだろうかと、僕はそんなことを考えながら意識を浮上させた。
目を覚ませば、そこは見慣れた僕の部屋だった。
ピッ、と電子音が響いて部屋の灯りが一気に点く。
オートで管理されたそこは、人間の動きに敏感に反応した。
ぐっと伸びをして壁を見れば、空が見える。
ガラスではないけれど、部屋の壁は外の様子を映し出してくれる。
おまけに向こうからこちらは見れないという優れものだった。
最近、やけに幼いころのことを夢に見る。
それは決まって、毎年行っていた海の夢だった。
確かに僕はアソコで誰かと一緒に過ごして、毎年来ることを約束していた。
でも、今となってはその海にも久しく行っていない。
彼は今、どうしているんだろうと思わなくもないけれど、自由などとっくに霧散したようなこの寄宿舎では詮無いことだった。
部屋にかけられている壁掛け時計は今日の日付を示している。
あぁ、そうか終業式かと気づいて、それから時間を見つめた。
「って、遅刻じゃないか!」
8:20を示すデジタル時計、始業の時間は8:30。
僕はしまったと叫びながら、ベットを飛び出した。
「珍しいな、雷蔵が遅刻なんて。今日は雨でも降るかな」
校舎までのエア・カーを待つ停留所で声を掛けられて、僕は顔を上げた。
校舎から校舎の間までをすべて、大きなトンネルでつなげたこの学校は地上から遥か彼方の空中に居を構えている。
だから、寄宿舎と学習棟も全て磁力で走るエア・カーで移動するのだ。
その第五寄宿舎の停留所に僕の後に姿を現したのは、級友の三郎だった。
彼はどういうわけか僕と同じ顔をしている。
双子でもなければ、血縁でもないけれど同じ顔。
最初に会ったときは驚いたけれど、今では気にすることもなくなっていた。
「三郎…なんで、こんな時間に?」
「私は何時も通り寝坊さ。終業式なんて、あの電気仕掛けの似非校長の長い話を聞くだけのくだらない時間だろう?それなら、遅刻して課題だけもらって帰ろうって算段だったんだ」
「それ良いの?君学級委員長なのに」
そう言って笑うと、三郎はくつりと笑ってわざとらしく肩をすくめて見せるだけだった。
でも確かにそれもそうだと僕は思う。
あの校長―と言っても大きなモニターに映し出される老人の姿は、こことは違う母星にいる本物を投影しただけのものだ。
彼は、この月にある学園の校長であると同時に政府の要人でもあった。
そのせいか、今では数少ない母星に住むことを許された人間なのだ。
母星はこの月からでも見ることができた。
太陽の光を受けて輝く青い星。
僕たちはそこに戻るために毎日勉強しているのだ。
それでも僕たちが幼いころはそこで生活することができた。
だが、現在の自然環境や国の情勢のせいで多くの人々が強制的に移民させられたのだという。
碧い星は、何時見ても誰が見ても懐かしいという感想を抱き、そこに帰りたいと思うのだという。
僕と三郎はやってきたエア・カーに二人して乗り込んだ。
静かに走り出すそれに揺られながら、僕は窓の外を見る。
第五寄宿舎から学習棟の間、その一瞬で見える星。
「…懐かしいな、」
ふと、呟かれた言葉に僕はそっと顔を三郎のほうへを向けた。
じっと地球を見つめる三郎は無表情だったが、目だけはその碧い星に縫いとめられていた。
ざっと景色がまた屋内へと戻る。
「私はあの海で生まれたんだ。海辺の町で、毎夏、私に会いに来てくれる子がいた。何時も、別れるときに泣いてまた来てくれと言ったんだ」
「…その子は今、どうしているの?」
そう尋ねると三郎の眼は悲しそうにゆがめられて、それからふとまた閉じられる。
「元気にしているんじゃないのかな」
それだけ言って三郎は、僕のほうを見た。
「なぁ雷蔵」
「何?」
「エスケープしないか?終業式全部」
そう言ってにやりと笑って、三郎は僕の手を取った。
「え、エスケープって何処に?」
「何処でも」
そう言って三郎はにやりと笑った。
学習棟の駅に続く扉が閉じる。
あ、と思ったときにはすでにエア・カーは走り出していた。
さくさくと踏む砂は人工のものだ。
この学園には正直辟易するくらい色々なものがある。
この人工の海もその一つだった。
夏も冬も、季節など関係ない人工の都市であるここでは服装など実際余り関係ない。
僕は半そでが動きやすいという理由だけでそれを着ていたけれど、三郎は逆で何時も長袖だった。
だが、この海だけは別だ。
常夏の海に長袖は暑いのか、彼はワイシャツを脱いでタンクトップだけになっている。
黒いそれは彼の白い肌にやけに映えた。
暑い、人工の風が吹いて、三郎の僕と同じ茶色の髪が靡く。
微かに香る潮の香りに僕も目を細めた。
「なぁ、雷蔵。…君は、ここを懐かしいって思ったりしないか?」
「懐かしい?」
「私は懐かしいって思うんだ。別に私の故郷に似ているわけじゃない。私の故郷はここみたいに常夏ではないし、椰子の木なんて生えてやしないんだ」
「…うん」
「でも、この潮の匂いが何時も大好きだった夏を思い出させてくれる」
そう言って彼は僕のほうを見た。
じっと見つめられて僕は、微かに息をのむ。
責めるような眼ではない、むしろ悲しそうなその眼から僕は目をそらせない。
「…なぁ、雷蔵」
名前を呼ばれて僕は微かに口を開いた。
何か、言わなければと思ったけれどその先が出てこない。
あぁ、何か何かが引っ掛かっているんだ。
でも、僕はそれが解らなかった。
「思い出してほしいことがあるんだ。じゃないと…私は…」
「さぶろう?」
じゃないと、どうなんだろう。
僕が不思議に思った矢先だった。
けたたましい電子音が僕のズボンのポケットから響く。
不思議な空気を破ったその音を消そうと、ポケットから音の主である通信機を取り出す。
片手に収まる程度のモニターにボタンが付いた形のそれに映し出された文字は「竹谷八左ヱ門」となっていた。
「何だ、ハチか」
その文字が見えたのだろう、三郎はため息をついて僕から視線をそらして、近くに置いていた上着を手に取った。
「どうせ何で今日来なかったんだとか、そういう内容だろう?寄宿舎に帰ればあいつもそろそろ戻ってる頃だ」
行こう、と言われて僕も慌てて立ち上がる。
ざぁと風が吹いて僕は一度だけ海の方を振り返った。
人工の海は規則正しい波の音を立てて、潮の香りを運んでいる。
懐かしい?…いや、僕は多分ここにそんな気持ちは持ってないと既に歩き出した三郎の後を追った。